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中江藤樹|偉人列伝「近江聖人」と呼ばれた中江藤樹は1608年近江国(現在の滋賀県)で農民であった父・中江吉次の長男として誕生しました。

中江藤樹は、9歳の時に伯耆米子藩主の150石取りの武士である祖父・徳左衛門吉長の養子となって米子へと赴きます。そして1617年には藩主である加藤氏が伊予大洲藩(現在の愛媛県)に国替えとなったため、祖父母と共に移住しています。そして1622年には祖父が亡くなったことから家督を継ぎ、中江藤樹は100石の武士となります。40歳の時、持病の喘息がもとで亡くなる半年前には「身分に関係なく、平等に学ぶ」というのが特徴の藤樹書院を新築し、やがて「近江聖人」と自然と呼ばれるようになっていきます。そんな中江藤樹のエピソードについて、いくつかのキーワードでご紹介しましょう。

【孝行息子】
中江藤樹が「近江聖人」と呼ばれる大きな理由に非常に親を大切に思う孝行息子であったことがあげられます。

中江藤樹は7歳の頃に母のもとを離れ、祖父の住む米子へと移住していますが、この2年後、故郷の母がアカギレやしもやけで辛い思いをしていることを知り、とても心配になってしまいました。そこでアカギレやしもやけにとてもよく効くという薬を購入し、それを母に届けるために雪の中を走り、故郷へと戻ったのです。中江藤樹が到着した時、母はちょうど井戸の水を汲み上げようとしていました。その姿を見た中江藤樹は思わず泣きながら母にすがろうと駆け寄りました。ところが藤樹に気づいた母はそれを止め、「男子は一度目標をもって家を出たら、そう簡単に家に戻ってきてはいけません」と諭し、藤樹のことを思って突き放します。中江藤樹はそれを感じ、涙をこらえてまた祖父のもとへと帰っていったのでした。

また25歳頃になり、父が亡くなった後1人暮らしをしている母に自分のもとで暮らしてもらおうと故郷を訪れています。しかし母は頑固にそれを拒否し、結局1人で帰宅することになってしまいます。しかし、母のことがどうしても心配で仕方なかった中江藤樹は27歳になって脱藩して故郷へと戻ることになります。

【好奇心旺盛】
中江藤樹は子供の頃から非常に好奇心旺盛な人物で、14歳の時に藩の家老が数人の部下を連れて祖父を訪ねてきたことがありました。中江藤樹は家老であれば知識も豊富で面白い話を聞けるのではないかとふすま越しに祖父らの会話に耳を傾けていたのです。会話は一晩中続いていましたが、特別面白い話を聞けるわけでもなく、よくある雑談のみで終わってしまいました。そこで中江藤樹は「心ニ疑テコレヲ怪」しんだ、と言われています。

【繊細な性格】
中江藤樹は自分にも他人にも言動においてミスを1つも許さないほど厳しく律していました。しかしそういう厳しい反面、実は内では臆病な部分もあったとされており、日中は仲間と厳しい稽古に勤しみ、夜になってようやく誰にも見つからないように買い漁った大好きな本を読むといった具合でした。また小さな気にするほどでもない自分のミスをずっと気にして1か月間も落ち込んでいたということもありました。

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