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伊能忠敬|偉人列伝伊能忠敬は、江戸時代に日本中を歩いて回り、測量により正確な日本地図を作った人です。
伊能忠敬は、もともとは婿養子で入った伊能家で商人として成功し、1794年に隠居、50歳にして19歳も年下の高橋至時という天文学者に弟子入りしたところから、日本地図作製の道へと繋がっていきます。

人生50年と言われていた江戸時代の隠居後は一般的に盆栽などをいじったりという余生が多い中、伊能忠敬が年寄りの道楽として天文学の弟子入りをしたというのにも驚きですが、さらにはその相手が19歳も年下であったという、封建社会におけるプライドよりも彼の向学心の高さに感服させられます。

人をまとめ使う立場にいた伊能忠敬ではありますが、危機的状況にあった家業を徹底的な倹約と綿密な事業方針を完遂することにより約10年で立て直し、1783年に起こった天明の大飢饉においては地域住民を私財により助けるなど、時代に流されずとても広い視野と心の持ち主であったのが伺えます。このような伊能忠敬のエピソードが幕府により認められ、苗字・帯刀を許されました。

伊能忠敬は、家業を隠居し長男に譲った後は、小さい頃より興味引かれていた天文学を追求するために江戸へと出て、浅草にある天文方暦局(天体観測により暦を作る所)を目指したわけです。家族や家業など何の気兼ねもない環境の中、伊能忠敬は天文学の勉強に没頭し、周りの人は推歩先生(すいほせんせい)と彼のことを呼ぶようになりました。

伊能忠敬は自宅に天文観測所までも作らせ、金星の子午線経過観測を日本で初めて成功させるに至ります。

暦学、天文観測、測量といった知識や技術を着々と身につけていった伊能忠敬は、天文方暦局の人々の間でもっぱら議題となっていた地球の直径について、

「2つの違う地点で観測した北極星の高さについて、見上げる角度の比較により緯度の差を割り出し、最終的にこの2地点間の距離が判明すれば、地球の外周を計算ではじき出すことが出来る」と考えました。

この2地点間の距離は近いよりも遠いほうが誤差が少ないことから、江戸より一番遠い蝦夷地(北海道)までの距離を測定出来れば、ということになりました。そこで、師である至時は、日本地図を作るためという理由付けをし、この当時幕府の許可が必要となる蝦夷地入りを果たしました。

外国の艦隊がやってくる時代となったのに、この当時の日本には国防に不可欠となる正確な国土地図が存在していなかったのです。そのため、蝦夷地のみならず、東日本全体の測量への許可が幕府より与えられることとなりました。しかし、幕府の援助が一切なく、伊能忠敬の家業による私財を投じることにより可能となった測量でした。

1800年4月19日、伊能忠敬55歳にして江戸を出発、測量の旅が始まりました。ちなみに、この日は現在「地図の日」となっています。

仲間たちと協力しながら、歩幅を一定に保つ練習のもとに平均値を出し、歩いた距離を計算するというのが基本的な測量方法でした。湾岸線など危険地帯にも入り込み、どんな天気の中でも歩いて測量、夜は宿にて天体観測をし、常に両者を比較して誤差をこまごま修正するという集計作業をしつつ、3年という月日をかけて東日本の測量を完成させました。

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