島津義久 最後の言葉〜辞世の句

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島津義久 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、島津義久の最後の言葉として、島津義久の辞世の句を紹介してみることにします。

島津義久の最後

島津義久は、薩摩・大隅・日向(現在の鹿児島県・宮崎県)を支配した戦国大名です。豊臣秀吉の九州征伐により、九州統一こそなりませんでしたが、3人の弟(島津義弘・歳久・家久)と共に島津家としての最大版図を築きました。

織田・豊臣・徳川と時代が大きく移り変わる中、豊臣秀吉の九州征伐で降伏し、関ヶ原の戦いでも弟の島津義弘が徳川家康に敵対し敗れたものの、交渉により本領安堵を勝ち取り、薩摩・大隅と日向の大部分を治める77万石の大大名として存続させることに成功します。そして、晩年、甥(弟の島津義弘の子)の島津忠恒に家督を譲った後、1611年1月21日に享年75歳で病死しました。

そんな島津義久の辞世の句と言われているのが以下の句(短歌)です。

島津義久 辞世の句

「世の中の 米と水とを くみ尽くし つくしてのちは 天つ大空」

死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この島津義久の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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