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川路聖謨|偉人列伝川路聖謨(かわじとしあきら)は1801年、豊後国日田(現在の大分県日田市)で日田代官所属吏である父・内藤吉兵衛歳由の長男として誕生しました。母は同じく日田代官所の手付である高橋誠種の娘です。弟は井上清直、そして従弟は窪田鎮勝(江戸幕府最後の西国郡代)です。

代官所の役人の息子という立場で生まれたにも関わらず、川路聖謨は江戸幕府において勘定吟味役、佐渡奉行、小普請奉行、大阪町奉行、勘定奉行など重要なポストにつき、しかも勘定奉行時代には海防掛にもなっています。

川路聖謨は、幕末を代表すると言っても過言ではない名官吏として知られていますが、その性格はユーモアがあり、誠実で情け深かったといわれています。そんな川路聖謨のエピソードをいくつかご紹介しましょう。

・超人ともいえる日課をこなす毎日
川路聖謨の朝はなんと午前2時から始まります。一般的な人であればまだ眠っている時間帯に起き、執筆や読書をしました。そして外が明るくなってきたら外へ出て刀の素振りや槍の訓練などを大体2000回ほどこなし、その後は来客があればその相手をします。午前10時から午後5時までは江戸城内で勤務していました。当時の役人は午前10時から午後2時頃までが勤務時間だったことを思えば川路は毎日熱心に仕事に取り組んでいたのだといえるでしょう。

そして、帰宅するとすぐに来客の相手をして夕飯を共にしたり、お酒を飲んだりしました。しかしお酒に関しては厳格に飲む量を決めており、飲んだとしても一合までとしていました。午後10時頃になってようやく来客の応接が終わり、その後は執筆や読書を楽しんでから午前0時に就寝するという毎日を送っていたのです。

この日常生活のスケジュールからすると睡眠時間はわずか2時間のみ、普通は体調を壊してしまうレベルの忙しさです。川路聖謨はこのような毎日をなぜ送ることができたのか、それは毎日気を張る日々だったために平気だったといわれています。

・ロシア人にも尊敬される人柄の良さ
日露交渉の応接をしていた際にロシア人の一行が写真を撮ろうとしたところ、川路聖謨は「私のような醜男を日本人の顔の代表と思われては困る」と言って笑わせたとされています。このロシア人一行の1人だったイワン・ゴンチャロフという人物は川路聖謨について、ロシア人側全員に気に入られるほど非常に聡明で、時には意見で反論されることもあったが尊敬しないわけにはいかないほど素晴らしい人物であったと記録しています。

また、その上司のプチャーチンは帰国後、川路聖謨についてヨーロッパでもめったにいないほどウィットと知性を備えた人物であると書き残しています。海外に認められるほどの実力と人柄を持った人物、それが川路聖謨だったのです。

後年にブチャーチンの孫娘であるオルガが来日し、ゆかりの地である戸田村に100ルーブル寄付しています。その後も様々なことが日露間で起きても両家の交流は続いており、なんと2008年にも日露修好150年としてお祝いをしています。

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