川路聖謨|偉人列伝

偉人列伝

川路聖謨|偉人列伝

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・貧困層のために手をつくす
川路聖謨のエピソードとしてこんな話が残っています。ある日、村人が借金問題で債権者から訴えられたのですが、示談の意見を出した奉行所に対して村人は債権者への恨みを理由にそれをはねつけたのです。その様子に与力が村人を逮捕しようとしましたが、そこで川路聖謨はそれを止め、逮捕はさせないと言います。そして村人へは「債権者への恨みのせいで滞在する日数がかかり、その分滞在費用もかかる。妻子が泣くと思わないのか」と諭し、村人はようやく示談に応じました。

川路聖謨の人情深さに感激をした人々は非常に多く、川路聖謨が江戸へ戻る際の見送りが隣国の山城国との国境にまで続き、その人々に挨拶をするために籠を使えず、徒歩で移動したと書き残しています。

・奈良市に植えられた桜並木
川路聖謨は奈良奉行をしていた時に佐保川に全長5キロにも及ぶ桜や楓の苗を数千株植えています。東大・興福両寺を中心にして、南は白毫寺、西は佐保川にまで人々へ呼びかけ、植樹したのです。現在はその辺りに「植桜楓之碑」が建てられています。

・ロシアのお菓子がお気に入りに
ロシア一行の接待を受けた時に様々なメニューの食事がテーブルに並んでいました。幕府側は一つ一つ「それは何か?」と尋ねたりしていましたが、まるで“クリームのようなお菓子”と評したものを、川路聖謨は自らの袂から紙を出して皿から全部それにうつして包むと胸元にしまいこんだのです。そこで「どこの美人に持参するのですか?」とたずねると川路は「家臣に食べさせたいのです」と答えました。そしてそこからお菓子の話題へいくのかと思いきや、ここでも川路聖謨のユーモアが出て、その話題をきっかけに女性についての話題へとうつったという記録が残っています。

川路聖謨は晩年には病に苦しめられ、半身不随の身となりましたが、生涯かけて人々のために尽力を尽くした人物でした。それが現在でも尊敬される理由となっているのでしょう。