徳川慶喜|偉人列伝

偉人列伝

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しかし、薩摩藩と長州藩が武力によって討幕を行うことを察知した徳川慶喜は、1867年(慶応3年)に大政奉還を発表し、さらに明治天皇に政権返上を勅許されました。256年続いた江戸時代もここで終わりを告げます。

ただ直接政権を取るという事は無くなりましたが、慶喜自体は大政奉還をした後も将軍職を辞任したわけではありませんでした。

実際、朝廷からは条件付きにはなっていましたが、政務の処理が慶喜に委任されており、結果的に大政奉還を行ったものの幕府による政権掌握はそのまま続きました。

幕府が無くなった事によって武力を行使することができなくなった倒幕派ですが、これでは気持ちがおさまりません。そこで行われたのが「王政復古」です。

「王政復古」は一種のクーデターの様なもので、これによって将軍職や摂政、関白といった古くから行われていた体制が廃止となりました。その代わりに新しい政府には総裁、議定、参与の三職が置かれる事になりました。

徳川慶喜は内大臣の職にありましたが、その後の会議によって辞官が決定し、慶喜が将軍になってからわずか1年で江戸幕府は崩壊へと至ることになります。

ただ、徳川慶喜自体は江戸時代が終わってからもずっと生き続け、実際には明治・大正時代にも生きていました。勿論、将軍職を辞職する事になったので直接的に政治に関わるという事はありませんでした。

政治の世界から遠ざかった後に徳川慶喜が行っていた事の一つが趣味の時間を設けるということでした。実際に写真も趣味の一つで、沢山の写真を撮影して雑誌に投稿する程の腕前でしたし、また油絵や手芸、囲碁、能楽、釣りなど様々な趣味が有り、余生は自分の好きな事をして過ごしたようです。

徳川慶喜といえば、大政奉還であったり、江戸時代最後の将軍のイメージですが、実際にはそれ以外にも様々な事をしており、さらに将軍職を辞した後も趣味に打ち込むなど、その人物像は歴史の授業で習う以上に魅力的と言えるでしょう。