悪魔の証明とは?

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悪魔の証明とは?

悪魔の証明とは

今回は、私たちが日常生活の中で使う機会があまりないかもしれない「悪魔の証明」という言葉について見てみることにしましょう。

実はこの「悪魔の証明」という言葉は、国会の答弁で最近時々使われるようになった言葉です。「悪魔の証明」という言葉の響きからすると、何となくオカルトチックな印象を持つ人がいるかも知れませんが、そういうわけではありません。

悪魔の証明とは、簡単に言うと「全く存在しないこと、もしくは、行わなかったことを証明するのは、不可能と言えるほどに困難である」ことを表現した言葉です。

この「悪魔の証明」という言葉が生まれたのは、中世ヨーロッパのことだとされています。ローマ法における所有権の帰属に関する訴訟の中で使われた言葉なので、法律の世界ではしばしば使われることはあるのですが、現在ではもっと広い分野で使われるようになっています。

「悪魔の証明」は、シチュエーションや分野によって使い方に多少の差異が生まれることがありますので厳密な定義とは言えませんが、「全く存在しないこと、もしくは、行わなかったことを証明するのは、不可能と言えるほどに困難である」ことと、一般的にはとらえておけば十分でしょう。

「なぜ、存在しないことを証明するのが不可能に近いのか」については、存在することを証明することと比較するとわかりやすくなります。あるものが存在するということは、たとえどんなに珍しいものであったとしても、それがどこかで見つけられたことを証明しさえすれば可能です。しかし、全く存在しないことの証明の場合は「世界中をくまなく探して、どこにもそれが発見できなかった」ことを証明する必要があります。

さらに、もし、実際に世界中をあるかどうかが分からないものを「探して回ったけれど存在しなかった」と結論付けても、その探索が十分であったかどうかという新たな証明を求められる可能性も高く、現実的には不可能な証明と言えるでしょう。

また、この「悪魔の証明」の使われ方の一つに「その人がやっていない」ということを証明する場合もあります。この場合には、証明範囲が限定されるので、証明は理論上不可能ではないと言えるのですが、法律上では「やった」とを主張する側が証明する責任を負わされるのが原則です。

そして、この「悪魔の証明」ですが、国会において野党(主に民進党)が政権を揺さぶる手段として多用されるようになってきています。

例えば、森友学園や加計学園にまつわる事案で、安倍首相に対して「“疑惑”が存在しないこと」「安倍首相が関与していないこと」の証明を求めるケースが多々あったのですが、本来であれば、証明義務は“疑惑”があるとする民進党などの野党側にあるので、「“疑惑”が存在すること」「安倍首相が関与していること」を明確に証明した上で追求をすべきだったと言えます。