源実朝 最後の言葉〜辞世の句

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源実朝 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、源実朝の最後の言葉として源実朝の辞世の句を紹介してみることにします。

源実朝の最後

源実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の四男で、鎌倉幕府の第三代の征夷大将軍です。歌人としても知られる源実朝ですが、1219年2月13日、兄である第二代将軍 源頼家の子であった甥の公暁により鶴岡八幡宮で暗殺され、将軍としての源氏は断絶、鎌倉幕府は北条家により実質的に支配されることになりました。享年26歳の若さでした。

そんな源実朝の辞世の句と言われているのが以下の句です。

源実朝 辞世の句

「出でいなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」

現代文に訳すなら、「この先もし主人である私に何かがあっても、軒端に咲いている梅よ、どうか春を忘れずに花を咲かせてくれ。」といったところでしょうか。

この短歌は暗殺される当日に詠んだ歌と言われています。武家として初の右大臣昇任を祝う八幡宮の拝賀の日だったにもかかわらず、何やら死を予感していたかのような内容となっています。源氏の棟梁として、後見を受けていた北条氏からの独り立ちを目指そうとした実朝には、周囲のきな臭さが見えていたのかもしれません。

源実朝が死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この源実朝の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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