豊田佐吉|偉人列伝

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豊田佐吉|偉人列伝豊田佐吉は、後に世界のトヨタと言われ、日本最大のトヨタ自動車の創設者豊田喜一郎氏の父親となる人物です。

豊田佐吉は慶応3年2月14日に現在の静岡県湖西市山下に農業と大工でもあった伊吉と妻ゑいの三兄弟の長男として生まれました。病弱で内向的だった豊田佐吉は“むっつり佐吉”というあだ名をつけられていました。

豊田佐吉のエピソードはいくつもありますが、その1つとして、まずは佐吉が貧しい農村に生まれ、幼い頃から効率の悪い手織機を見て育ったといういうものがあります。手作りで苦労する母親を見て、手織機を何とか機械化できないかと発明に没頭します。豊田佐吉は、大工にしたい父親と激しく対立し、東京へ家出する事もしばしばで、近所から白い目で見られ奇人変人のレッテルを貼られていたと言われています。

豊田佐吉は小学生の頃サミュエル・スマイルズの「西国立志編」を知り、自ら身を起こして成功した人々の人生を知ることとなり、織機発明したジェームス・ハーグリーブらの挑戦に感銘を受けました。

そして発明家になろうと思った豊田佐吉は新聞を読みあさり、村の青年達と「山口夜学会」を開いて独学で勉強するようになり、知識を深めていきます。しかし現実には気ばかりが焦り、なにをすればいいのか手探り状態でした。

18才になった豊田佐吉は国が新しい法律を発布したことを知ります。それが「専売特許条例」だったのです。

明治23年4月、豊田佐吉は東京へ出掛けます。
上野で開かれた第三回内国勧業博覧会に出かけ、国内外の最新機械に衝撃を受けた豊田佐吉は1ヶ月もの間連日会場に足を運びました。そこで織物機を見物したのですが、全く変わり映えしていない事に気付き、新たな発明が必要だ確信し、織物機の研究に没頭します。

豊田佐吉初めての発明となるのが「豊田式木製人力織物」であり、佐吉24才の時でした。

豊田佐吉の発明に対する集中力は驚くべき物があり、朝早くから夜遅くまで研究室に閉じこもり、家族は佐吉がいつ起きていつ寝たのかわからない状態だったようです。最初に作った機織り機で、従来よりも4~5割生産性が向上したにもかかわらず、豊田佐吉は満足せず動力を持ち込みます。

そして、1897年、豊田佐吉は動力機織り機を完成させます。これによって生産効果は一気に上がりました。

この発明時の総理大臣をはじめ政府高官多数が訪れ、惜しみない賛辞が贈られました。中でも大隈重信からは「発明という仕事は外国人との知能の戦争をする事である。負けを取らないようにしっかりやるように」と激励があり、従業員に金一封が授与されたという話も残っています。

豊田佐吉は意欲と能力は持っていたのですが、資金がありませんでした。それを支えたのが弟の平吉と佐助、奥さんの浅子でした。

こうした家族の支えもあって、豊田佐吉の会社、豊田商会は日露戦争後の好景気のよい時代に好成績を上げる事ができました。やがて事業は拡大されて、個人の会社であった豊田商会は三井物産の助言もあり、豊田式織物株式会社を設立させます。

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