豊臣秀次 最後の言葉〜辞世の句

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豊臣秀次 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、豊臣秀次の最後の言葉として、豊臣秀次の辞世の句を紹介してみることにします。

豊臣秀次の最後

豊臣秀次は、天下人となった豊臣秀吉の甥(姉の子)です。秀吉から関白の職を譲られ、一旦は家督を相続した豊臣秀次でしたが、秀吉に嫡子秀頼が誕生した後、謀反の嫌疑を掛けられて高野山に蟄居を命じられ、1595年8月20日に切腹となります。享年27歳。

そんな豊臣秀次の辞世の句と言われているのが以下の句(短歌)です。

豊臣秀次 辞世の句

「磯かげの 松のあらしや 友ちどり いきてなくねの すみにしの浦」

この歌を現代文に訳すなら、

海辺でただならぬ嵐にあったが、仲の良い千鳥たちの澄んだ鳴き声を聞くと心が穏やかになる

といったところでしょうか。

謀反の嫌疑を掛けられ弁明の機会もなく切腹となった豊臣秀次ですが、死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この豊臣秀次の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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