久坂玄瑞 最後の言葉〜辞世の句

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久坂玄瑞 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、久坂玄瑞の最後の言葉として、久坂玄瑞の辞世の句を紹介してみることにします。

久坂玄瑞の最後

久坂玄瑞(くさかげんずい)は、1840年に長州萩藩(現在の山口県萩市)の藩医の子として生まれました。吉田松陰に師事し、高杉晋作とともに松下村塾の双璧と称された人物です。後に長州藩の尊王攘夷派の中心人物となった久坂玄瑞ですが、八月十八日の政変に続く禁門の変で幕府側諸藩の軍に敗れ、1864年8月20日、自刃することになります。享年24歳でした。

そんな久坂玄瑞の辞世の句と言われているのが以下の句です。

久坂玄瑞 辞世の句

「時鳥 血に鳴く声は 有明の 月より他に 知る人ぞなき」

時鳥とはホトトギスのことで、現代文に訳すなら「私の志は、夜明けに輝く月の他に誰も知らない」といったところでしょうか。

「長州藩の若手の中では第一流の人物で天下の英才である」と吉田松陰が評した久坂玄瑞ですが、志半ばで斃れることになりました。死に際しては、周囲を振り返り「僕はこれまでだ、諸君は大いに勉めてくれよ」と話したと伝わっています。

もし生きていればと後世の人が惜しむ英傑の一人だった言える久坂玄瑞ですが、死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この久坂玄瑞の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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