ゲティスバーグの戦い|勝因・敗因

ゲティスバーグの戦い|北軍の勝因ゲティスバーグの戦いとは、南北戦争における事実上の決戦となった戦いのことです。

この戦いは1863年7月1日から7月3日にかけて、ペンシルベニア州アダムズ郡の近郊で行われ、ジョージ・ミードを指揮官とするアメリカ合衆国(北軍)とロバート・E・リーを指揮官とするアメリカ連合国(南軍)が戦いました。

これは南北戦争史上最大の戦いで、アメリカ合衆国軍に形勢が傾いた戦いとなりました。

ゲティスバーグの戦い以前は、アメリカ合衆国はチャンセラーズヴィルの戦いで敗北を喫し、ボルティモアやフィラデルフィアを奪い取られる可能性もありました。それではなぜ北軍(アメリカ合衆国軍)はゲティスバーグの戦いに勝つことができたのでしょうか?北軍の勝因とは何であるか、そのことについて紹介しましょう。

ゲティスバーグの戦いでの北軍の勝因として、まず、ウィンフィールド・スコット・ハンコック将軍の活躍が挙げられます。

攻勢に出た南軍の攻撃に耐えていた北軍側は第一軍団司令官のジョン・F・レイノルズ将軍を、砲撃によって早々に失ってしまいます。後任の指揮官にはアブナー・ダブルデイが任命されますが、午前中は持ちこたえたものの、圧倒的な南軍の力によって、前線を崩してしまい北軍は撤退を余儀無くされていました。

しかしハンコック将軍は防衛戦闘に優れていたために、南の丘に陣地を構築させて戦うという方法を思いつきます。さらにカルプス・ヒル、セミタリー・ヒル、セミタリー・リッジ、ラウンド・トップ、リトル・ラウンド・トップの5つの主要な防衛線を築きました。

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ここに守備隊を配置することによって、味方との連絡や援軍の増援を格段に楽にすることができるようになったのです。こうしたハンコック将軍の功績によって、戦闘を有利に進め、徐々に北軍の勢力が盛り返すきっかけを作ることができたのです。

このまま戦いを進めることができればよかったのですが、2日目に入るとダニエル・シックルズ将軍の行動によって、一転して情勢は拮抗してしまいます。シックルズ将軍がセミタリー・リッジ以南の守備軍を配置換えし、最前線に移動させたため、これによってリトル・ラウンド・トップ防衛線が手薄になってしまい、南軍の猛攻を受けることになります。シックルズ将軍のこの行動は、戦後北軍の下した最も愚かな判断であると言われたほどでした。

勝敗を分けたのは、たまたまこの防衛戦にいた通信兵の存在です。この通信兵が南軍の行動を即座に察知して本部へ報告し、戦況把握の任務にあたっていたウォーレン将軍が適切な対処を行いました。彼はまず4個連隊を捻出し、即座にリトル・ラウンド・トップへ派遣しました。

リトル・ラウンド・トップ周辺では、4時間以上の熾烈を極めた戦いが行われました。これはゲティスバーグの戦いにおいて最も激しく、また両軍の被害が大きかった戦いでしたが、総司令官ミード将軍の巧みな戦闘指揮もあって、南軍は結局防衛線の突破ができず、敗北へつながっていくのです。

ゲティスバーグの戦いでの北軍の勝因は、ミード将軍、ハンコック将軍などの諸将が適切な判断を下したところにありますが、本当の“勝因”は、戦線崩壊瀬戸際の場所に通信兵が偶然居合わせた“運”だったのかもしれません。

日本・世界の主要な戦いの勝因・敗因がここに・・・

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