マラトンの戦い|ペルシャ軍の敗因

マラトンの戦い|ギリシャ軍の勝因とペルシャ軍の敗因

マラトンの戦い|ペルシャ軍の敗因

マラトンの戦い ペルシャ軍の敗因

一般的に戦闘では「数の多い方が勝つ」というのが常識です。

「弱者が強者に打ち勝つ」とか、「少数の精鋭が多勢を打ち破る」というストーリーは、常にロマンに溢れていて、洋の東西を問わず人気ですが、実際はそういうことはほとんど起こりません。

しかし、時に、その常識が覆されることもあります。その一つが、アテネの北東でペルシャ軍とギリシャ軍(アテナイ・プラタイア連合軍)が戦った「マラトンの戦い」です。

紀元前490年、ペルシャ軍は 25000人の大軍でエーゲ海を押し渡り、マラトンに上陸しました。

ペルシャ軍を迎え撃ったギリシャ軍は、アテナイ軍が 9000人、プラタイア軍は 600人。合計しても 1万人に足らず、ペルシャ軍とギリシャ軍の兵力差は圧倒的でした。本来なら、よほどの事がなければペルシャ軍が負けるはずがありませんが、実際はペルシャ軍が敗れてしまいます。

では、ペルシャ軍の敗因とは、どこにあったのでしょう?

ペルシャは、600隻の艦隊を揃えて大軍団を輸送しました。軍隊の構成は、軽装歩兵、重装歩兵、騎兵で、これは当時の陸戦の定石通りです。中央部に主力を配し、機動力を活かして横長に陣を張ります。

一方のギリシャは混成部隊、主力はギリシャの都市国家アテナイで、そこへ弱小都市国家のプラタイアが参加しています。どちらの国も、否も応もなく参戦するしかありません。ペルシャ軍の上陸場所マラトンは、プラタイアのすぐ近く。一方、アテナイとマラトンの距離は43.5キロ。徒歩なら10時間、足の速い人なら3時間ほどで着いてしまう距離です。

デモクラシーの生みの親である都市国家アテナイは、この戦いのために総指揮官を10人任命し、日替わりで交代で指揮につかせることにしていました。

一見すると、誰が総指揮官なのか混乱しそうな状況ですが、10人の中にミルティアデスという将軍がいたのがアテナイにとっては幸運でした。

ミルティアデスは当初から主戦論を唱え、「強豪スパルタの兵士たちが到着するのを待とう」という他の将軍たちと対立します。そして、自分が総指揮官になる日が回ってくるや否や、ペルシャ軍に対して総攻撃を開始します。

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【マラトンの戦い 布陣図】

マラトンの戦い 布陣図

ペルシャ軍の戦い方を熟知していたミルティアデスは、主力部隊を左翼と右翼に配置しペルシャ軍にあたります。主力を中央に配したペルシャ軍の弱点を狙い、兵力の少なさを機動力と奇襲でカバーするを戦略をとりました。

「1キロ以上先の敵陣まで一気に駆け抜ける」「ゆっくり接近して突然走り出す」「行軍中のペルシャ軍に突撃していく」など、少人数ならではの機動力を活かした奇襲だったと言われています。

ギリシャ軍の攻撃を、当初「自殺行為だ」と嘲笑っていたペルシャ軍ですが、白兵戦に持ち込まれると形勢は逆転。手薄だった中央部分こそペルシャ軍は優勢でしたが、左右両翼が重装歩兵(ファランクス)による攻撃に破られ、猛然と左右から攻撃をかけるギリシャ兵に包囲される形で中央部のペルシャ軍の主力は次々と倒され、やがて壊滅状態になっていきます。

こうしてマラトンの戦いは、ギリシャ軍の死者 200人に対し、ペルシャ側は 6400人という膨大な死者を出し、戦闘は終結します。

ギリシャ軍の機動力を活かした奇襲攻撃の成功は、ペルシャ軍の敗因の1つでしょう。さらに、ペルシャ軍には、長大な距離を遠征してきた疲労が蓄積していたであろうことも想像に難くありません。

しかし、ペルシャ軍の最大の敗因は、属州からの混成部隊で編成されたペルシャ軍には「絶対に勝たねばならない」という決意がなく、士気が低かったことが挙げられます。「窮鼠猫を噛む」ということわざがありますが、守るべきものを背負ったギリシャ軍の重装歩兵(ファランクス)の士気の高さが倍以上の兵力差を覆したと言えるでしょう。

日本・世界の主要な戦いの勝因・敗因がここに・・・

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