三方ヶ原の戦い|徳川・織田軍の敗因

三方ヶ原の戦い|高田信玄の勝因と織田・徳川軍の敗因

三方ヶ原の戦い|徳川・織田軍の敗因三方ヶ原の戦いとは、1573年に遠江国(現在の静岡県)で起きた徳川・織田連合軍と武田信玄の間の戦いです。

この三方ヶ原の戦いでは、武田軍が徳川・織田の連合軍に対して圧勝したのですが、徳川・織田軍の敗因としては、単純に動員兵力数が少なかったことと、兵力が劣っているにもかかわらず城から出て野戦で戦ったことが挙げられます。

何しろ武田軍は野戦にかけては当時の最強と言われた軍団です。そのような相手に少数の兵力で野戦を挑んでいったわけですから、勝ち目のない戦だったということがいえるでしょう。

徳川家康は最初、浜松城への籠城を考えていたようですが、浜松城を素通りして進軍しようとする武田軍の動きを見て、後背から武田軍を襲おうとして、城を出て三方が原に出陣しました。この時点で徳川・織田の連合軍は負けが確定したということになるのかもしれません。

もっとも、徳川家康も無謀な賭けで野戦を選んだわけではありません。浜松城を素通りしていった武田軍の背後を突くことで追い討ちが出来ると考えたようです。

三方が原を西に向かうと、崖を降りる狭い一本道を通ることになり、ここで追い討ちをかけることが出来れば、武田軍は方向転換して徳川軍を迎え撃つことはできず、兵力に劣っていても有利に戦いができると考え、籠城を取り止めて武田軍を追撃したのです。

しかし、実際には武田軍は三方が原を降りることなく徳川軍を待ち受けていたわけで、まんまと武田信玄の罠にかかってしまう状態となりました。

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兵員数は武田軍が二万を超えていて、徳川軍は織田の援軍を合わせても一万を超えていたかといったところでした。徳川・織田軍は二倍の兵が待ち受ける罠にかかったわけですから、この時点でもはや徳川軍の勝ち目はなかったでしょう。

実際、三方ヶ原の戦いは武田軍の圧倒的な勝利となり、徳川家康は命からがら浜松城に戻ることになります。

ただ、この浜松城に戻った徳川家康を何故か武田軍はとどめを刺すことなく通過していきます。これがこの戦の最大の謎ということになるかもしれません。戦に大勝ちした武田軍としては、浜松城は是非にも落としておきたい城だったはずなのですが・・・。

逸話では城から鉄砲隊がでて武田軍を牽制したことで武田軍が驚いて引き上げたとか、城門を大きく開けて煌々と松明を照らし出したことで、武田軍がひるんだなどということがありますが、どれも名将武田信玄を追い返すには、策として不足しているような気がします。

冷静に考えると、武田信玄はこのときかなり病が進行していたのかもしれません。真実はわかりませんが、武田信玄が浜松城を落とすことなく通過したことで、徳川家康は万に一つの命を長らえることが出来ました。辛くも家康の命が助かったという意味では、三方が原の戦いは、後々の世に大きな意味があった戦いということになるのかもしれません。

日本・世界の主要な戦いの勝因・敗因がここに・・・

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