吉田松陰|偉人列伝幕末の立役者として有名なのが、長州藩の吉田松陰です。

吉田松陰は、いわゆる幕末動乱期には、すでにこの世を去っていたものの、彼が教育を施した若者は、まさに幕末の主役となっていきました。そんな吉田松陰のエピソードとしては、数々の印象的なものが残されています。

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吉田松陰は、1830年8月、現在の山口県萩市で長州藩士の子どもとして生まれました。

藩士といえば聞こえはいいですが、その生活は極めて貧しく、武士でありながら、その生計を畑仕事で立てていました。幼い松蔭も、一緒に耕作に精を出し、仕事をしながら学問を学んでいました。吉田松陰の才能は早くから開花し、5歳になるまでに論語を諳んじることができるまでになりました。

同じ頃、吉田松蔭は子どものできない叔父の養子となります。その家は、山鹿流という兵学の師範の家でした。老い先が長くないことを悟った叔父は、わずか5歳の吉田松蔭に、徹底的に兵学を教え、翌年、そのまま亡くなってしまったのです。こうして山鹿流の家を継いだ6歳の吉田松蔭でしたが、そこへ、もう1人の叔父がやってきます。そして、とても幼い子どもへの態度とは思えないほどの、スパルタ教育を開始したのです。それは、授業中に頬を掻いただけで激怒されるという、凄まじいものでした。

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吉田松蔭自身、何故死ななかったのか不思議でならないと振り返るほどの教育は、松蔭の実力を大きく開花させました。ついに吉田松蔭は、弱冠9歳にして長州藩の学校である明倫館の師範に就任し、11歳のときには藩主の講義を行うなど、その名を長州に轟かせたのです。13歳になると、吉田松陰は長州軍の総指揮官として演習を実施するなど、藩を担う人材として、大きな期待をかけられるまでになっていきました。

こうして、一見順風満帆な吉田松陰でしたが、意外な切っ掛けで武士の資格を失うことになります。それは、1852年のことでした。知人と一緒に旅行することになった吉田松蔭は、藩から通行手形が発行されるのを待っていました。この時代は、藩からの手形がなければ、自由に旅をすることができないのです。しかし手違いもあり、一向に発行されず、出発の期日は刻一刻と迫っていきます。松蔭は悩んだ末、友人との約束を守ることを優先し、脱藩して旅立ってしまいました。

友人との約束を果たし、旅先で大いに見聞を広めると、吉田松蔭は潔く藩に出頭します。しかし彼に下された決定は、非常に重いものでした。吉田松蔭は武士の資格を剥奪され、お家も取り潰しになってしまったのです。しかし、彼の才能の惜しむ藩は、そこに追加事項を設けました。諸国遊学を許可する手形を発行すると共に、後に再び藩士として取り立てることを約束したのです。いかに、長州藩が吉田松陰に期待していたかを物語るエピソードといえます。

そのまま順調に行けば、吉田松陰は穏やかな生を全うできたことでしょう。しかし、異国からやってきた船が、彼と日本の運命を狂わせました。かのペリーが来航した際に、その威容に驚愕した吉田松蔭は、誰よりも西洋文明に危機感を覚えます。そして異国を自分の目で確かめるために、黒船を頼って密航することにしたのです。門弟と共に漁船を盗んだ松蔭は、夜の闇に紛れて、黒船に乗り込むことに成功します。しかし、そこまででした。

アメリカ行きを断られた吉田松蔭たちは・・・

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