姉川の戦い|織田信長の勝因と浅井氏朝倉氏の敗因

姉川の戦いの勝因と敗因

姉川の戦い 勝因と敗因

1570年に起きた姉川の戦いでは、織田信長、徳川家康の連合軍が、浅井長政、朝倉景健の連合軍に勝利し、織田信長の天下統一に向けて動いたきっかけとなった戦いです。

しかし、姉川の戦いでは、最初から最後まで織田・徳川軍が優勢だったというわけではありません。織田信長にとって最大のピンチとなり、浅井氏朝倉氏の衰退の要因となったこの戦いについて、勝因と敗因を考えてみます。

まず、姉川の戦いが起こったきっかけについて見てみることにしましょう。この頃、良好な関係だった織田信長と足利義昭との関係性が悪化し始め、1570年の1月に、織田信長は足利義昭に対し、ケンカを売るような書状を送ります。それによって自分が権力者で、織田信長はそれを支えてくれていたと思い込んでいた足利義昭は織田信長の本当の狙いに気付き、激怒し、織田信長の討伐を考えます。

それに呼応したのが朝倉義景であり、その動きを知った織田信長は朝倉氏の領国である越前に攻めこもうとします。ところが、織田信長の妹、お市の方が嫁いだ浅井氏が寝返り、織田軍を挟み撃ちにしようとしました。木下秀吉(後の豊臣秀吉)の活躍で苦戦しながらもなんとか撤退することに成功した信長は浅井長政に対して総攻撃をかけることを予告し、動き始めます。これが姉川の戦いまでの流れです。

本来は浅井長政の居城だった小谷城を狙うはずでしたが、険しい山の上にある難攻不落の城であり、朝倉氏も援軍に来たことで城攻めはできないと判断した織田信長はなんとかして城の兵を外に出そうとします。

そのために、小谷城の支城である横田城を包囲し、それに焦った浅井長政は姉川の支流に陣を敷きます。横田城に近づこうとして浅井・朝倉連合軍が兵を進めた結果、姉川をはさんで浅井軍と織田軍、朝倉軍と徳川軍がにらみ合う状況となり、6月28日早朝に合戦が始まりました。

姉川の戦いの開戦時点での兵力は諸説ありますが、織田軍が15000人で対峙する浅井軍が8000人、徳川軍が5000人で対峙する朝倉軍が10000人、別働隊として横田城を包囲する5000人という状況でした。

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開戦後、兵力で劣るはずの浅井軍が織田軍を押し込む展開となります。織田信長は13段に渡る防御陣を築いていましたが、そのうちの11段を浅井軍の家臣の磯野隊などに崩され、一時は姉川から1km近く交代を余儀なくされ、浅井・朝倉軍優位で戦いは進んでいきました。

しかし、ほぼ二倍の朝倉軍を相手に互角以上の戦いを行っていた徳川軍が織田信長を救います。

進軍して浅井・朝倉軍の陣形が伸びきったのを見ると、徳川家康麾下の榊原康政率いる1000人の兵で浅井軍の左翼側面を攻撃し、さらに横田城を包囲していた別働隊も戦線参加し、浅井軍の右翼側面を攻撃したことから、まず朝倉軍が、次いで浅井軍が敗走し、姉川の戦いは織田徳川軍が辛くも勝利することになりました。

姉川の戦いの勝因としては、そもそも敵を上回る兵力を動員できたこと、徳川家康の状況判断が優れていたこと、が挙げられます。一方、浅井・朝倉軍の敗因としては姉川の戦い前に織田信長を挟撃するのを失敗したことなど、有利に展開した局面もありながらそれを活かしきれなかったところが手痛かったといえます。

姉川が両軍の兵士の血で真っ赤に染まるほどだったと言われるほど、凄惨な戦いでしたが、姉川の戦いでは、織田信長が本来描いていた成果をあげたとはいえず、足利義昭の抵抗がこの後も何年も続き、浅井氏・朝倉氏を支えていた比叡山延暦寺の焼き討ちなど、なりふり構わぬ手を講じながら、数年かけて浅井氏・朝倉氏の勢力を完全に断つことになります。

日本・世界の主要な戦いの勝因・敗因がここに・・・

次は「戦いの勝因・敗因一覧」を見てみる

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