第二次長州征伐|長州藩の勝因

第二次長州征伐|長州藩の勝因と幕府軍の敗因

第二次長州征伐|長州藩の勝因第二次長州征伐とは、徳川幕府が長州藩の討伐に乗り出した江戸時代後期の戦いです。

第二次長州征伐に際し、幕府軍は15万という大兵力を送り込んだのですが、結果的に長州藩相手に敗北を喫してしまいます。
では、そもそもなぜ圧倒的に不利だったはずの長州藩は、なぜ幕府軍に勝てたのでしょうか?

まずは、第二次長州征伐に至るまでの流れを簡単に見てみましょう。

当時の長州藩は急進的な尊皇攘夷派が中心を占めていました。
尊皇攘夷というのは外国人を日本から追い払い、天皇を中心とする統治体制を確立しようという考え方で、この思想に基づき長州藩は外国船を単独で砲撃するなど、幕府側から見れば勝手な行動を繰り返していました。

また公武合体という形で幕府と協力体制を敷こうとしていた朝廷からも見放され、八月十八日の政変によって長州藩は京都からも追い出されたのです。

このような状況の中で長州藩は第一次長州征討では戦火を交えることなく降伏をするのですが、第二次長州征討の際には幕府軍を迎え撃ち、破るのです。

それでは、第二次長州征伐における長州藩の勝因について見ていきましょう。

まず長州藩の勝因の第一は薩長同盟です。

前述の八月十八日の政変から禁門の変(長州藩が御所に向けて砲撃した事件)、それから第一次長州征討に至るまで、朝廷を守る役割にあった薩摩藩は、長州藩にとって最大の敵でした。しかし土佐藩を脱藩した坂本龍馬の仲介により、薩摩藩と長州藩は同盟を結びます。

この背景には外国船砲撃の報復を受けた長州藩と、イギリスとの戦いによって手痛い被害を受けた薩摩藩の「攘夷はもはや不可能で、むしろ外国の力を借りるべき」という考えが一致したことがありました。

スポンサーリンク

また、薩長同盟の頃には、薩摩藩は一時戦争状態にあったイギリスと友好関係にあったことも、第二次長州征伐の長州藩の勝因の一つです。

このイギリスとのパイプを利用して薩摩藩は軍艦や当時の日本にとって最新鋭の武器を、大量に購入することができましたが、それらの武器は、同盟関係が構築された長州藩にも流れることとなります。

幕府軍がいかに15万という大軍で押し寄せたとしても、古い近接武器中心の攻撃では長州藩に有効なダメージを与えることはできませんでした。

実際に大きな戦いが行われたのは石州、芸州、大島、小倉の4箇所です。幕府は石州で3万人、芸州で5万人、大島で2千人、小倉で2万人という軍を西国31藩から徴収し、これらの地域に差し向けました。

一方、迎え撃つ長州藩はそれぞれ、1000人、1000人、500人、1000人と、非常に少ない兵力でした。しかしながら最新鋭の武器に加え、高杉晋作の丙寅丸や坂本龍馬率いる海兵隊のユニオン号など、海上からの攻撃があったことで、兵力の不足を跳ね返して圧勝するに至ったのです。

また戦いの最中に当時の将軍であった徳川家茂が病死したことで、幕府軍の戦意が落ちたことも長州藩の勝因になりました。

第二次長州征伐における幕府軍の敗戦により、200年以上続いた江戸幕府は傾いていき、大政奉還・明治維新へと進んでいくことになります。

日本・世界の主要な戦いの勝因・敗因がここに・・・

次は「戦いの勝因・敗因一覧」を見てみる

スポンサーリンク

ランチェスター戦略から学ぶ

  1. ランチェスター戦略・ランチェスターの法則
    経営戦略や事業戦略を策定する場合には、自社の立場や強み弱みを認識した上で価値ある手立てで行うのが、競…
  2. ランチェスター戦略・ランチェスターの法則
    ランチェスター戦略は強者にも弱者にも当てはまる汎用性の高い戦略です。 弱者ならばランチェスター…
  3. ランチェスター戦略・ランチェスターの法則
    ほとんどの産業においては、数社のトップ企業がシェアのほとんどを分け合い、残りのシェアを多くの中小企業…
  4. ランチェスター戦略・ランチェスターの法則
    ランチェスター戦略において弱者が強者を打ち破る方法の一つとされるのが「一騎打ち」です。 ランチ…

戦いの勝因敗因から学ぶ

  1. ゲティスバーグの戦い|勝因・敗因
    ゲティスバーグの戦いとは、南北戦争における事実上の決戦となった戦いのことです。 この戦いは18…
  2. 井陘の戦い(せいけいの戦い)|韓信の勝因と趙軍の敗因
    井陘の戦い(せいけいの戦い)とは、紀元前204年10月に韓信率いる劉邦軍と陳余率いる趙軍が現在の河北…
  3. 奉天会戦|勝因・敗因
    奉天会戦は、日露戦争における最後の会戦です。中国の奉天(現在の瀋陽)を舞台に1905年3月1日から3…
  4. 第二次長州征伐|長州藩の勝因と幕府軍の敗因
    第二次長州征伐とは、徳川幕府が長州藩の討伐に乗り出した江戸時代後期の戦いです。 第二次長州征伐…
  5. 木崎原の戦い|勝因・敗因
    木崎原の戦いは、1572年に九州で起きた島津氏と伊東氏の間の戦いです。約十倍の兵力を相手にした島津軍…

孫子の兵法から学ぶ

  1. 孫子の兵法
    「孫子」は、二千数百年前の弱肉強食の時代に生きた孫武が書いた兵法書です。 その中から、今回は孫…
  2. 孫子の兵法
    「孫子」は、二千数百年前の弱肉強食の時代に生きた孫武が書いた兵法書です。 その中から、今回は孫…
  3. 孫子の兵法
    「孫子」は、二千数百年前の弱肉強食の時代に生きた孫武が書いた兵法書です。 その中から、今回は孫…
  4. 孫子の兵法
    「孫子」は、二千数百年前の弱肉強食の時代に生きた孫武が書いた兵法書です。 その中から、今回は孫…
  5. 孫子の兵法
    「孫子」は、二千数百年前の弱肉強食の時代に生きた孫武が書いた兵法書です。 その中から、今回は孫…
ページ上部へ戻る