大内義隆 最後の言葉〜辞世の句

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大内義隆 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、大内義隆の最後の言葉として、大内義隆の辞世の句を紹介してみることにします。

大内義隆の最後

大内義隆は、大内家の31代当主で、現在の中国地方の西側から九州北部を治めた戦国大名です。文化的な関心が強い大名としても知られ、中心となった山口は西の京として繁栄しました。大内家の全盛期を謳歌した大内義隆ですが、文治主義に偏った政策への反発を招き、重臣の陶晴賢の謀反により1551年9月30日に自害し、名門 大内家は滅亡することになります。享年は43歳でした。

そんな大内義隆の辞世の句と言われているのが以下の句です。

大内義隆 辞世の句

「討つ人も 討たるる人も 諸共に 如露亦如電応作如是観」

如露亦如電応作如是観(にょろやくにょでんおうさにょぜかん)は禅語になりますが、この歌を現代文に訳すなら、

私を討とうとする者も討たれる私も、共に、露や雷のように一生は短く儚いものだ

といったところでしょうか。

死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この大内義隆の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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