中核派とは
中核派とは「革命的共産主義者同盟全国委員会」の通称です。中核派は新左翼党派の1つとされており、暴力革命による労働者の独裁を掲げ、一般的には「極左暴力集団」「極左過激派」と捉えられている集団です。
新左翼の党派は複数ありますが、中核派はその中でもテロなどの武装闘争や大衆運動に焦点を置く勢力と言えます。
中核派は、革マル派と袂を別つ形で1963年に誕生しました。中核派としての最初の武装闘争は1967年の「羽田闘争」の時と言われています。当時の総理大臣であった佐藤栄作が、ベトナム戦争の渦中にあった南ベトナムを訪問するために羽田空港に向かう際、武装して機動隊を突破しようとしたのが「羽田闘争」です。
その後、中核派は、1960年代後半から1970年代前半にかけて、70年安保闘争、三里塚闘争、沖縄返還闘争など学生運動と一体化した街頭闘争(市街戦)を繰り広げていきましたが、大量の逮捕者を出したことや内部抗争・別の党派との確執(特に分裂した革マル派との争い)に発展し、徐々に勢力を弱めていきました。
1990年代以降、中核派はテロなどの武装闘争を一時的に控えて労働組合や市民運動への浸透し、勢力拡大を図る方針へ転換しています。
具体的には「改憲阻止」「反原発」を打ち出し、NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)を設立して、一般市民・学生へ浸透を図りつつある状況です。
また、東京都知事選に出馬した鈴木達夫氏(落選)や参院選に出馬した山本太郎氏(当選、現自由党)の支援をするなど、選挙による勢力拡大を目指した活動も行なっています。
合法的な活動に鍵を切ったかに思える中核派ですが、暴力革命による労働者の独裁の志向は変わっておらず、最近でも、1968年に起こした警官殺害事件の容疑者である大坂正明容疑者の逃亡を長年組織的に支援していたことが判明するなど、今も過激派としての中核派の活動は続いています。