中江藤樹|偉人列伝

偉人列伝

中江藤樹|偉人列伝

ページ:

1

2

【脱藩】
武士としての生活にどうしてもなじめない自分を悟った中江藤樹はとうとう27歳の時、とうとうその年の禄米を全て蔵に残し、無一文に近い状態で自分の屋敷を飛びだしてしまいます。

当時、脱藩は命を落とす危険が非常にあり、命がけの行為でした。それを承知で中江藤樹は屋敷も身分も捨てるような覚悟で行動を起こしています。しかしすぐに故郷に帰っては追っ手に見つかるかもしれないということでわざと故郷にはすぐに戻らず、京都にいる友人宅で100日ほど滞在しています。そしてようやく故郷へと帰ってきたのです。

武士の生活から逃れた中江藤樹はその後1年間は全く何かをすることもなく、毎日寝て暮らしたというエピソードからもわかります。中江藤樹は持病として喘息がありましたが、精神的な安心を得たおかげでそれまで頻繁に起きていた発作もかなり改善しました。

【様々な職業を経験】
故郷へ帰った中江藤樹は持っていた刀を売って資金を作り、なんと村人相手に貸金業を始めます。そしてそのお金を元手にして今度は酒屋業を始め、私塾を開き、易や医学を学んで教師・医師となりました。中江藤樹は「近江聖人」と呼ばれていますが、この理由の一つには村落医師として活躍し、大きな業績を上げていたことも関係しているのです。

また希望する者には儒学以外にも医学も教えました。この医学を教えるという点でも彼のあるエピソードが残っています。中江藤樹は友人の子供である大野了佐を弟子にしていますが、大野は物を覚えるのが苦手で漢方の医学書をなんとか教え込んでもすぐに忘れてしまうという状態でした。そこで彼のためにわかりやすい本を新たに作り、それで根気よく教えて立派な医師へと育てあげました。

中江藤樹の教えを学んだ弟子の1人は親に孝を尽くす、人の物を盗んではならない、人を傷つけたり迷惑をかけたりしてはならないなどの教えを守り、大金の入ったお金をきちんと持ち主に返し、お礼のお金も受け取らなかったというエピソードも残っています。それほど中江藤樹の影響を受けた人は多かったのです。