吉田松陰|偉人列伝

偉人列伝

吉田松陰|偉人列伝

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アメリカ行きを断られた吉田松蔭たちは、すげなく追い返されます。この当時、密航は死刑になってもおかしくはない重罪でした。当然、命が惜しければ黙っておくべきです。しかし、そのような振る舞いを吉田松蔭は許しませんでした。

松蔭は堂々と奉行所に自首し、そのまま投獄されたのです。この間、町に晒されている彼らを、黒船の乗務員が目撃しています。俯いて落ち込むでもなく、不敵に笑うでもなく、じっと前だけを見据えていた吉田松陰の姿に、大きな感銘を受けたことが記録に残っています。幕府高官も松蔭の識見には一目を置いており、結果的に一命をとりとめ、本国に送還となったのです。

故郷に帰り着いた吉田松蔭でしたが、待っていたのは、再びの獄中生活でした。そんな最悪の環境下でも、松蔭は、まったく挫けませんでした。希望を失っていた囚人一人ひとりに語りかけ、知らないことを教え合うことを提案したのです。やがて牢獄は、一大教育機関の様相を呈し、活気溢れる授業に、牢役人まで加わるほどでした。のちに出獄した吉田松陰は、囚人仲間の1人と語らって、私塾を始めることにします。これが、高名な松下村塾の始まりです。

松下村塾は、最初は近所の子どもたちに読み書きを教える、寺小屋のようなものだったのですが、やがてそこに、吉田松蔭を慕う若者が増えて、活発なやり取りが行われるようになりました。

ある日、手狭となった松下村塾を改築するため、吉田松陰と弟子たちが集まりました。自ら作業に汗を流していると、どうしたことか、弟子の1人が吉田松蔭の顔に泥を落としてしまったのです。そこで怒るかと思いきや、師匠の顔に泥を塗った男がいると大笑いし、以後、そのエピソードは彼のお気に入りとなったのでした。

このように吉田松陰のエピソードには、情熱だけでなく、人としての温かみにも溢れています。だからこそ、多くの弟子に愛され、現代人の心をもつかんで離さないのです。

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