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囲魏救趙(いぎきゅうちょう)〜 兵法三十六計
兵法三十六計とは、中国の三国時代以降に生まれた兵法書で、宋の名将 檀道済がまとめたと言われています。
そして「兵法三十六計」に書かれた故事や教訓は、単なる兵法ではなく処世術としても活用され、広く知られるようになっています。そういった意味では「兵法三十六計」を知ることで、現代の人たちにとっても人生の参考になるのではないでしょうか。
今回選んだのは、兵法三十六計の第二計
「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」
です。
「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」とは
「囲魏救趙」とは、
「強敵を相手にする時は、一箇所に集まっている敵を相手にせず、分散させるのが良く、敵の正面を攻めるのではなく、急所を攻めるのが良い」という計略です。
「囲魏救趙」の話
中国の戦国時代、魏が趙を攻め、ついに趙の都 邯鄲を包囲してしまいます。趙は同盟国の斉に援軍を求め、派遣されたのが有名な孫子です。軍師であった孫子は、将軍の田忌に邯鄲の救援に向かうべきでないと説き、魏の都 大梁を包囲します。自国の都が包囲された魏軍は慌てて邯鄲の包囲を解いて引き返したのですが、斉軍は急ぎ戻ってくる魏軍を途中で迎え撃ち(桂陵の戦い)、大勝したのです。
魏軍の急所である都 大梁を攻めたことで、急ぎ戻ることで隊列が伸びきった敵を有利な地形で迎え撃った「桂陵の戦い」のように、ライバルとの戦いは、正攻法だけではありません。
手強いライバルであればあるほど「囲魏救趙」のような攻め手はないのか、まず考えてみると良いでしょう。