「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、大谷吉継の最後の言葉として大谷吉継の辞世の句を紹介してみることにします。
大谷吉継の最後
大谷吉継は、大谷刑部とも言われますが、近江国(滋賀県)で生まれ、織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将です。武将としてだけでなく政治家としても優れ、石田三成の盟友であったことで知られています。そんな大谷吉継ですが、1600年10月21日(慶長5年9月15日)有名な関ヶ原の戦いで敗れ、自害しました。享年は35歳前後と言われています。
そんな大谷吉継の辞世の句と言われているのが以下の句です。
大谷吉継 辞世の句
「契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも」
現代文に訳すなら「縁があるなら、来世の入り口でしばらく待っていてくれ。遅から早かれ、私もそちらへ行くから。」といったところでしょうか。
大谷吉継が死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この大谷吉継の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?
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