「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、島津義弘の最後の言葉として、島津義弘の辞世の句を紹介してみることにします。
目次
島津義弘の最後
島津義弘は、戦国大名 島津義久の弟で勇猛で知られた武将です。
3000人の伊東軍を300名の寡兵で破った「木崎原の戦い」や300名の兵で撤退戦を成功させた「関ヶ原の戦い」など戦国屈指の猛将として知られた島津義弘ですが、晩年は1619年8月30日に84歳で亡くなるまで後進の指導に力を注いだと言われています。
そんな島津義弘の辞世の句と言われているのが以下の句(短歌)です。
島津義弘 辞世の句
「春秋の 花も紅葉も とどまらず 人も空しき 関路なりけり」
「天地の 開けぬ先の 我なれば 生くるにもなし 死するにもなし」
これら2つの歌を現代文に訳すなら
春の花や秋の紅葉もいずれは散ってしまうように人の一生もはかないものだ。私も関ヶ原から退却する時に散ってしまった
自分はもうすぐこの世から消えてなくなるが、元に戻るだけで死ぬことでも生きるということでもない
といったところでしょうか。
豊臣秀吉や徳川家康にも恐れられた島津義弘ですが、死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この島津義弘の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?