「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、川路聖謨の最後の言葉として、川路聖謨の辞世の句を紹介してみることにします。
川路聖謨の最後
川路聖謨は、江戸時代末期の幕臣で大阪町奉行、勘定奉行などの要職を歴任しました。その後、ロシアのプチャーチンとの交渉で名を馳せた川路聖謨ですが、持病の痛風もあって職を辞してから5年後、新政府軍の江戸城総攻撃が予定されていた1868年4月7日に自宅にて割腹の上ピストルで自決しました。享年66歳でした。
そんな川路聖謨の辞世の句と言われているのが以下の句(短歌)です。
川路聖謨 辞世の句
「天津神に 背くもよかり 蕨つみ 飢えにし人の 昔思へは」
この歌を現代文に訳すなら、
天上の神々に背くことになるかもしれないが、それもよかろう。わらびを摘みながら餓死した故事を思えば。
といったところでしょうか。
わらびのくだりは、古代中国で周が殷を滅ぼした時に、殷に使えていた伯夷と叔斉の兄弟が殷への忠誠を守り、山のわらびだけを食べて餓死したという故事が元になっています。天皇への忠誠はあるものの、旧幕臣として幕府と命運を共にするという覚悟だったのかもしれません。
死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この川路聖謨の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?