平櫛田中|偉人列伝

偉人列伝

平櫛田中|偉人列伝

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平櫛田中の真っ直ぐで真面目な性質を表すエピソードは、他にも存在しています。彼は非常に筆まめな人だったそうで、旅行などにでかけると、必ず毎日1通ずつ、次女と三人の孫への手紙をしたためたのだそうです。旅行先で見たものや聞いたもの、その日の出来事などをつづって、送ったといわれています。また、旅の道中で摘んだ草花などを、押し花にして、手紙に添えることもあったそうです。

当時の郵便は、それほど早く着くものでもなかったようで、時折手紙よりも先に、当人が帰宅したこともあるといわれています。しかし平櫛田中にとってそんなことは問題ではないのか、この習慣は長く、続いていたようです。几帳面かつ、家族へのあたたかい愛が感じられる、素敵なエピソードだといえるでしょう。

平櫛田中は晩年になると、趣味で硯(すずり)を集めるようになり、これを孫と弟子への形見にしようと考えていたそうです。仕事にまっすぐに打ち込み続ける反面、いつでも身の回りの人のことを心のうちに置いている、そんな人だったのでしょう。

平櫛田中は昭和37年に文化勲章を受け、他の受章者とともに皇居に招かれたこともあるそうです。天皇陛下は一人ひとりに声をおかけになったですが、その際、平櫛田中に「一番苦心されたのはどんなことですか」とお尋ねになったと伝えられています。そしてそれに対して平櫛田中は、「おまんまを食べることでした」という、答えを返したとされています。彫刻という世界で、大きな名声を獲得した彼ですが、その道行きは決して、楽なものでは無かったようです。

木彫の彫刻と、仏教には大きな繫がりがあり、明治の頃に仏教信仰が下火になったことが、平櫛田中の暮らしにも影響したといわれています。彫刻で暮らしをたてることが難しい時代となり、平櫛田中の仲間である岡倉天心の弟子の一人が、師にどうすれば彫刻が売れるのか、ということを尋ねたこともあるそうです。それに対して、岡倉天心は「皆売れるようなものを作るため、売れないのだ。売れないようなものを作れば売れる。」と答えたそうです。

その答えを聞いた平櫛田中は、他人の作品を気にかけず、自身の作りたいものを作るのが一番大切だ、と気付かされたそうです。彼の作品に特別な魅力が宿るようになったのは、こうしたエピソードも、関係しているのかもしれません。

素晴らしい作品を多数残した平櫛田中ですが、彫刻だけでなく、その生き様も、人の心に残るものが多くあります。彫刻家として、そして父親として、まっすぐに全てと向き合ってきた、そんな印象が感じられる、エピソードがいくつも残されているのです。