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暗渡陳倉(あんとちんそう)〜 兵法三十六計
兵法三十六計とは、中国の三国時代以降に生まれた兵法書で、宋の名将 檀道済がまとめたと言われています。
そして「兵法三十六計」に書かれた故事や教訓は、単なる兵法ではなく処世術としても活用され、広く知られるようになっています。そういった意味では「兵法三十六計」を知ることで、現代の人たちにとっても人生の参考になるのではないでしょうか。
今回選んだのは、兵法三十六計の第八計
「暗渡陳倉(あんとちんそう)」
です。
「暗渡陳倉(あんとちんそう)」とは
「暗渡陳倉」とは、
「正面から攻めると見せかけ、実際は迂回して、相手が予期していない方向から不意打ちにする」計略のことです。
「暗渡陳倉」の話
中国において秦が滅亡して一時的に項羽が覇権をとった時代、蜀に封じられた劉邦は、関中(現在の長安一帯)への進出を図る為、新たに臣下となった韓信の策を採用しました。
実際に行動に移した韓信は、蜀から漢中へ出る全長200kmにも渡る一本道「蜀の桟道」の修理を行う一方で、山脈を大きく迂回して、陳倉を経由で関中を奇襲しました。敵将の章邯は「蜀の桟道」の修理が終わってから攻撃があるだろうと油断していた為、戦力に優っていたにもかかわらず次々に敗れ、関中を劉邦軍に奪われてしまいます。
「暗渡陳倉」によって要衝を奪った劉邦は、項羽に対して徐々に優勢となり、天下統一を果たすことになりました。
「暗渡陳倉」は、偽りによって相手を欺く計略の一つですが、偽装に相手の目を向けて真意を隠し通すことがポイントとなります。その意味では、高度な計略で、自分たちよりも強大でかつ油断しがちな相手に有効な戦術と言えるでしょう。
そして反対に、自分たちがライバルよりも有利な立場にある場合は、油断せずあらゆる方面からの “攻撃” に備えておく必要があります。