当時大国だったロシアへの謝罪には自分では不十分だと感じた榎本武揚は一度は辞退していますが、天皇や皇后から特別に御諚を賜って役目に付くよう求められたために承諾することとなりました。この話からも、榎本武揚がいかに能力や人柄について厚い信頼を集めていたかが窺えます。
この他にも榎本武揚には様々なエピソードが残されており、通信大臣の時には現在でも使用されている郵便記号を決定したことが知られています。1887年の2月8日に、郵便記号としてT字の形をもって通信省全体のマークとすることが告示されたのですが、2月19日に発表された官報では実はTではなく〒の誤りだったとして訂正されています。
これは、当初決められたTのマークが海外でも広く使用されている料金未納や料金不足を現す記号だったということが判明し、榎本武揚がTでは紛らわしいから棒を一本加え、〒にしたら良いのではないかと進言して採用されたという逸話があります。もちろんこれは諸説ある郵便記号の誕生に関わるエピソードの一つであり、これが実話と決まっているわけではありませんが、榎本武揚にまつわる面白い説として広く知られています。
また、幕府最後の将軍としても知られている徳川慶喜が、大政奉還後に公爵の爵位を与えられた際には昔の幕臣たちが集まって祝いの宴を開きました。その席で徳川慶喜が一家とともに記念撮影を撮影しようとした際、榎本武揚も加わって一緒に映ろうと慶喜に声をかけられたのですが、榎本武揚は主君と同じ写真に自分が映り込むなど失礼な真似はできないとして、恐縮の末遠慮しているというエピソードも残されています。
一見すると豪快で礼節などにはあまりこだわらないイメージのある榎本武揚ですが、実際はこのように恐縮したりロシアへの謝罪特使を任されたことなどを見ると、人への気遣いやコミュニケーション能力が非常に優れた人物だったことが窺い知れます。このように、逸話を知ることでその人物の意外な一面を知ることができるのは非常に面白いものだと思います。