家臣からの信頼もあつく、人望に優れていた武田信玄は徳川幕府の祖である徳川家康にも大きな影響を与えました。武田勝頼の敗北後、武田家は滅亡しましたが、武田の家臣たちは徳川の世でも大切にされたそうです。
天下を取るには生まれた時代が早すぎた感のある武田信玄ですが、彼がもう少し後の時代に生まれていたら歴史は変わっていたかもしれません。かの織田信長も、武田の強さは天下一と評するほど強かったと言われています。
武田信玄のエピソードとして有名なのが、彼が死に際して残した言葉です。
信玄のあと継ぎは武田勝頼でしたがその勝頼に対して、自らの死を3年は隠し、その間は戦を起こして領土を広げるのではなく国内にとどまり国力を上げ家臣と関係を深くすることに専念するよう言い残しました。残念ながら勝頼はこの教えを守る事が出来ず、戦国一と呼ばれた武田の騎馬隊は織田の鉄砲隊に破れることとなりました。
そんな信玄ですが、おもしろいエピソードも残しています。
彼のトイレはとても広く一つの部屋のようで、ただ用をたすだけではなく、そこでくつろいだり、仕事をする事もできたそうです。もちろん最大の理由は用心で、トイレというもっとも無防備な場所で襲われたら防ぐのが非常に難しいからです。広い場所であれば敵が隠れる場所もないからということで、床なども敵が隠れる隙がないようにきちんと用心してあったそうです。
また、影武者が何人もいて、忍びの者も使っていたという信玄らしいエピソードです。トイレが長かったのだろうか、とおもしろく考える事もありますが、トイレにいる時間が惜しいほど働いていたのだとも考えられます。
また当時では珍しい水洗式のトイレも考案していたといわれています。彼が用を足すと合図を出して水を引くようになっており、水で流すことができるというのです。知恵物の武田信玄らしい発想がとてもユニークです。
このように武田信玄のエピソードはたくさん残っていますが、どれも彼が慕われていた事がよく分かる話ばかりです。