渋沢栄一|偉人列伝

偉人列伝

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幕府に仕える前までは頑固なナショナリストとして知られていた渋沢栄一ですが、アメリカへ渡った日本人移民の排斥運動が起こった際には、日米関係の悪化を危惧して、アメリカに対して日本への理解を深めてもらうために日本のニュースや情報を送信する通信社の立ち上げを計画しました。

この企画は実現することはありませんでしたが、これが現在世界各国のニュースを取り扱う大手通信社が誕生する起源となったのです。このことからも、渋沢栄一がいかに国益や日本人のことを考えて活動していたかがよくわかります。

他の有名な実業家たちと渋沢栄一との間には、自分の財閥を作らなかったという点において大きな違いがあります。渋沢栄一は私利を目的とせず、あくまでも公益を図るために活動するという考えを持っており、これを生涯貫き通すために財閥を作ることをしなかったのです。

自分だけでなく会社の後継者にも同じような意思を持って活動するよう強く戒めるなどしており、こういった社会への奉仕が認められて子爵という他の実業家から一歩抜きんでた地位を与えられました。他の実業家たちは男爵という低い地位止まりだったので、渋沢栄一が社会的にいかに認められていたかが窺えます。

また、渋沢栄一は、自分の仕事だけでなく教育に関する事業にも熱心に取り組んでおり、当時は意識が薄くあまり行われていなかった実業教育を推進し、現在の有名大学の起源にもなる様々な学び舎の設立に注力しています。先進的なヨーロッパの経済や教育環境に触れていたため、男尊女卑が基本だった当時の日本としては珍しく女性への教育の必要性を重視し、女子教育奨励会という機関を設立して学校を立ち上げることも行っています。

こういった様々な分野への貢献はもちろんのこと、国外への活動も目を見張るものがあります。アメリカとの交流を深めるために人形の交換会を実施したり、大洪水で大きな被害を出した中国への支援のために寄附金集に奔走するなど、渋沢栄一は民間外交のパイオニアともいえる存在だったのです。

渋沢栄一というと経済を語るうえでは欠かせない人物としてその名を知られていますが、それ以外にも非常に積極的に公益を求めて活動していた偉人だったということが分かります。