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調虎離山(ちょうこりざん)〜 兵法三十六計
兵法三十六計とは、中国の三国時代以降に生まれた兵法書で、宋の名将 檀道済がまとめたと言われています。
そして「兵法三十六計」に書かれた故事や教訓は、単なる兵法ではなく処世術としても活用され、広く知られるようになっています。そういった意味では「兵法三十六計」を知ることで、現代の人たちにとっても人生の参考になるのではないでしょうか。
今回選んだのは、兵法三十六計の第十五計
「調虎離山(ちょうこりざん)」
です。
「調虎離山(ちょうこりざん)」とは
「調虎離山」とは、
「相手にとって有利な本拠地から誘い出し、自分たちにとって有利な体勢で戦う」計略のことです。
「調虎離山」の話
項羽と劉邦が戦った楚漢戦争において、劉邦軍の別働隊として諸国平定に転戦していた韓信軍3万は、井陘(せいけい)の地で趙の陳余率いる20万の軍勢に行く手を阻まれます(井陘の戦い)。
城に籠って正攻法をとる趙軍に対して、韓信は不利と言われる川を背にした布陣としました。韓信の布陣を見た陳余は「兵法を知らぬ者」と笑い、わずかな兵を城に残しただけで、ほぼ全軍を率いて韓信軍に攻め掛かったのですが、川を背にして後ろがない韓信軍は死に物狂いで戦ったため、打ち破ることができません。そのため被害拡大を恐れた陳余は城へ撤退することにしたのですが、城まで戻ると、すでに城は韓信軍の別働隊2千で制圧されており、趙王も捕らえられていました。
帰る場所をなくし、主を失った趙軍は動揺して総崩れとなり、井陘の戦いは兵力に劣る韓信軍の勝利となりました。
現代のビジネスにおいても、相手方にとって有利な状況で競うのは、損害が大きく得策ではありません。中小企業のように、ライバルの方が自力に優っているような場合では、「調虎離山」のように自らの得意な状況に相手をどうやったら持ち込めるか、を考えて実践することが大切だと言えるでしょう。