・無断で軍艦購入
高杉晋作の破天荒なエピソードはいくつもありますが、その中でもよく知られているのがこの無断で軍艦を購入したことでしょう。グラバーから購入しているのですが、高杉晋作自身に資金はありません。後で長州藩に軍艦の購入費が請求されたのです。事後承諾であったために莫大な購入費の請求を見て長州藩は驚いたといわれています。これからの時代、必ず軍艦が役立つという判断から勝手に購入してしまったわけですが、この軍艦は後々の戦争で大活躍を見せることになります。
・行動力がありすぎて投獄
1864年、京都で起きた「八・一八の政変」により、長州藩は京から追い出されてしまいます。ここで長州藩では勢力の回復をすることについて“武力で解決”派と“慎重に行動”派に分かれます。高杉晋作は“慎重に行動”派でしたが、藩主命令で武力派のトップである来島又兵衛の説得を命令されました。この説得がなかなかうまくいかなかったため、無断で京都へと足を運んだのです。長州へ帰国後この行動が脱藩行為であるとされ、野山獄という牢へと入れられることになってしまいます。この時に限らず、高杉晋作は脱藩行為をなんと5回もしくは6回ほどしていたといわれています。
・連合国の前で古事記を読む
イギリス・フランス・アメリカ・オランダの連合国が下関を襲撃し、応戦したものの敗戦の色が濃くなったことから和平を申し出ることになった長州藩ですが、この時現れた高杉晋作は烏帽子直垂という日本スタイルで連合国側はどよめきます。そして山口県の彦島租借問題が出た時、高杉晋作はさらに度肝を抜かれる行動に出ます。なんといきなり古事記の講釈を始めたのです。これは高杉晋作の作戦だったそうで交渉を混乱させる目的だったとされ、結局はいくつかの条件をのんだものの、彦島の租借の件だけは頑として承知しませんでした。
高杉晋作はこのように生涯において様々なエピソードがあり、人々を今も魅了しているのです。
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