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欲擒姑縦(よくきんこしょう)〜 兵法三十六計
兵法三十六計とは、中国の三国時代以降に生まれた兵法書で、宋の名将 檀道済がまとめたと言われています。
そして「兵法三十六計」に書かれた故事や教訓は、単なる兵法ではなく処世術としても活用され、広く知られるようになっています。そういった意味では「兵法三十六計」を知ることで、現代の人たちにとっても人生の参考になるのではないでしょうか。
今回選んだのは、兵法三十六計の第十六計
「欲擒姑縦(よくきんこしょう)」
です。
「欲擒姑縦(よくきんこしょう)」とは
「欲擒姑縦(よくきんこしょう)」とは、
「敵との戦力差が十分でない状態では、相手を追い詰めずにわざと逃し、十分に力を削いだところで瓦解させる」計略のことです。
「欲擒姑縦」の話
中国の三国時代、蜀の軍師であった諸葛孔明は、雲南征伐を行った際、有力豪族の一人だった南蛮王 孟獲を戦って捕らえましたが、心服していないと見るや笑って逃し、また捕らえては逃すことを繰り返しました。そして七度目に捕らえられた孟獲は、また逃がそうとした孔明に対し「南方の者は私を含めて背くことはありません」と心服したそうです。
孔明は、捕らえては逃すことで孟獲の反逆心を少しずつ削ぎ、敵対する気持ちを最終的に瓦解させることで、損害を最小限に留めながら雲南地域の平定といった目的を達成したことになります。
囲師必闕(囲師には必ず闕く)という孫子の有名な言葉がありますが、自らとほぼ対等の相手を追い込めば「窮鼠猫を嚙む」状態になって反撃を受けて大きな損害を被る可能性があります。
「欲擒姑縦」は「囲師必闕」からさらに一歩進んで、相手の力が十分弱まったところで攻略したり、あるいは緩やかに対応することで戦わずして勝ちを得る計略ですが、対人関係も同様で、失敗した直後に部下や同僚を叱責することは得策ではありません。「パワハラ」という言葉もある通り相手を追い込むことにもなりますし、精神的な反発を生んで正しい忠告も相手に届かないことにもなりかねません。誤りを正すのであれば、失敗した直後ではなく、お互いに精神的に落ち着いている時に、冷静に話をするべきでしょう。