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トラファルガーの海戦 スペイン・フランス連合艦隊の敗因
トラファルガーの海戦は、1805年にスペインのトラファルガー岬沖で行われた海戦です。
この当時、ヨーロッパ大陸はナポレオン一世を皇帝に擁するフランス帝国の支配下にありました。ナポレオンはイギリス本土への侵攻を計画していましたが、イギリスは制海権を手にしており、海上封鎖を行うことによって本土進攻を防いでいました。
1805年9月、ナポレオンはイングランドへの侵攻中止を決断し、その矛先をオーストリアに向けます。ナポレオンはオーストリア攻撃の支援作戦としてフランス・スペイン連合艦隊にナポリ攻撃を命じます。この命令を受けたスペイン・フランス連合艦隊はカディスを出撃しましたが、この艦隊を監視していたネルソン提督率いるイギリス地中海艦隊は、スペイン・フランス連合艦隊の撃破にむかいます。
ネルソン提督のイギリス艦隊は、旗艦『ヴィクトリー』を中心とする27隻の布陣。一方のスペイン・フランス連合艦隊は33隻と戦力的には優位に立っていました。
この戦力的不利を覆すべく、ネルソン提督は敵の隊列を分断するために敵艦隊の右わき腹に2列の縦隊で突入する『ネルソン・タッチ』と呼ばれる戦法を使用しました。
海戦が始まった時点では、スペイン・フランス連合艦隊は北方向に曲がる陣形でしたが、イギリス艦隊は作戦通りにその左わき腹に突入し、激しい海戦の結果、スペイン・フランス連合艦隊は撃沈1隻、捕獲18隻、人的被害は戦死4000人、捕虜7000人と甚大な被害を受け、指揮していたヴィルヌーヴ提督も捕虜となりました。一方のイギリス艦隊は、指揮していたネルソン提督が海戦の最中に敵艦からの狙撃によって戦死したものの、失った艦船はなく、戦死400人、戦傷者1200人でした。
このようにトラファルガーの海戦ではイギリス海軍が一方的に勝利し、スペイン・フランス連合艦隊は壊滅という結果に終わりました。
トラファルガーの海戦のスペイン・フランス軍の敗因
トラファルガーの海戦におけるスペイン・フランス軍の敗因を考えると、やはり『連合』艦隊であったということにあります。
フランス海軍だけならまだしも、スペイン海軍が混在し、いわゆる『寄せ集め』の状態になってしまった結果、指揮系統が複雑になってしまい、指揮や錬度が低下してしまったのです。
艦載砲の射速もイギリス艦隊が1分30秒に1発なのに対して、スペイン・フランス艦隊は3分に1発と遅く、兵力の質の面でイギリス艦隊に劣っていました。結果、艦艇数は優位だったにもかかわらず、このような一方的な敗北となってしまったのです。もしもフランス海軍だけで編成された艦隊であれば、イギリス艦隊の一方的勝利はあり得なかったと言えるでしょう。少しでも有利に戦いを進めるべく、スペイン艦隊を組み込んだことがナポレオンにとっての敗因となったと思われます。
このトラファルガーの海戦での敗戦は、ナポレオン戦争自体の一大転機にはなりませんでしたが、これ以降イギリスは完全に制海権を手にすることになったのです。