「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、近藤勇の最後の言葉として、近藤勇の辞世の句を紹介してみることにします。
目次
近藤勇の最後
近藤勇は、1834年に現在の東京都調布市の農家で生まれました。試衛館で剣を習い、天然理心流宗家を襲名。そこで知り合った土方歳三らと新撰組(前身の浪士隊)に参加し、後に総長として活躍しました。その後、鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争を幕臣としてして戦ったものの捕縛され、1868年5月17日、板橋刑場で斬首されました。享年33歳。共に戦った沖田総司の死の約2ヶ月前のことでした。
そんな近藤勇の辞世の句と言われているのが以下の2つの漢詩です。
近藤勇 辞世の句
「孤軍援絶作俘囚 顧念君恩涙更流 一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔」
「靡他今日復何言 取義捨生吾所尊 快受電光三尺剣 只将一死報君恩」
現代文に訳すなら、
軍が孤立し援軍も絶えて囚われの身となった。主が気にかけてくれたことを思い出すと涙がさらに流れてくる。一面に溢れる忠誠心で節義に殉じる。唐の時代の忠臣 張巡こそが私の同志である。
敵になびいて言うべきことはない。生きることを捨て義を取ることは、私が尊ぶところである。斬首を快く受け入れよう。一死をもって主の恩に報いるのだ。
といったところでしょうか。
農家に生まれ、武人として幾多の修羅場をくぐり抜け、最後は幕臣として最後を迎えた近藤勇ですが、死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この近藤勇の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?