桶狭間の戦い|今川義元の敗因

桶狭間の戦い|勝因・敗因

桶狭間の戦い|今川義元の敗因

桶狭間の戦い 今川義元の敗因

桶狭間の戦いは、1560年6月12日に行われた今川義元軍と織田信長軍の戦いです。

桶狭間の戦いに動員した兵力は、諸説あるものの、今川義元軍が 35000人前後、一方、迎え撃った織田信長軍が 4000人前後と言われています。 そして、約10倍の敵を破った戦いとして桶狭間の戦いは現代でも語り継がれています。

そして、その桶狭間の戦いで兵力的に優位にあった今川軍が負けたのは、「織田信長の計算した奇襲」と「今川義元の油断」と長らく言われてきました。

ですが、最近ではその通説も変わりつつあり、桶狭間の戦いでの勝敗を分けたのは、

  • 今川軍が兵力を分散したため、本隊が手薄であった
  • 桶狭間の戦い前後における視界を遮るほどの豪雨であった
  • 今川軍から見ると不意の遭遇戦となった

などの諸条件が重なったとする説が有力となっています。

今川義元はこの桶狭間の戦いで敗れたことで戦に弱い武将と思われがちですが、武田信玄や北条氏康と渡り合い、その中で、今川氏の最盛期を作り上げた戦上手な大名です。

今川義元は「海道一の弓取り」と呼ばれ、次の天下をとる人物とも言われていたほどの人ですから、いかに当時の尾張国が“弱小”だったとしても油断するとは思えません。実際、桶狭間の戦いの前哨戦では、今川義元軍は抜け駆けをしてきた織田軍を完膚なきまでに叩きのめしています。

この勝利に満足して今川義元は唄を唄ったという記録があり、これが義元油断説の根拠ともされているのですが、前哨戦で叩いた織田軍を見て、さらに防備を固めるように指示をしていたことは想像に難くありません。

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敵地に侵攻し、実際に敵も反撃してきているわけですから、一度や二度叩いたぐらいで油断をするようなことはないでしょう。今川義元は京に上る為に大軍を率いており、織田氏討伐も綿密な作戦計画を立てて、軍勢を配置していたと考えられます。

にもかかわらず、今川義元は織田信長に敗れてしまいます。では、桶狭間の戦いでの今川義元の敗因は一体何だったのでしょうか?

一言で言うなら「敵本隊の動員兵力を見誤ってしまったこと」と言えるかもしれません。

桶狭間の戦いにおいて、今川義元は「本隊」「丸根砦攻城部隊」「鷲津砦攻城部隊」と「守備隊」に分けて戦っています。その結果、今川義元を守る本隊は 5000人程度となって進軍していました。

一方、織田信長は「丸根砦」「鷲津砦」の守備隊への応援は送らず、全軍の約半数の 2000人の兵力で今川義元の本隊への戦いを挑みます。

全体の動員兵力としては約10倍の兵力差があった今川軍ですが、桶狭間周辺の局所的には 2.5倍程度にまで兵力が近づいていたことになります。

そして、運が悪いことに、当日は午後から豪雨になったことで視界が非常に悪い状態であったため、今川軍としては不意の遭遇戦となってしまいました。

総大将自ら決死の覚悟で攻撃を掛けた織田信長軍に対して、見通しが悪く起伏に富んだ地形で不意打ちを受けた形になった今川軍は敵との兵力差を生かせず、各部隊ごとに混乱し、各個撃破されていったものと思われます。

織田信長が企図した奇襲だったのかは今となってはわかりませんが、兵力分散に天候・地形などの要因が重なったというのが、桶狭間の戦いにおける今川義元の敗因と言えそうです。

日本・世界の主要な戦いの勝因・敗因がここに・・・

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