官渡の戦い|曹操軍の勝因

官渡の戦い|勝因・敗因 戦いの勝因・敗因

官渡の戦い|曹操軍の勝因

官渡の戦い 曹操軍の勝因

官渡の戦いは、西暦2006年、有名な「三国志」の時代に曹操軍と袁紹軍が戦った戦いです。この戦では兵力的に大きく劣っていた曹操軍が勝利をすることとなりました。

官渡の戦いにおける曹操軍の勝因について考えるなら、相手の弱点を見極め、兵力の消耗なくその弱点を攻略した点にあると言えるでしょう。

官渡の戦いの直接的な勝因は烏巣(うそう)という地にあった袁紹軍の兵糧保管庫を曹操軍が奇襲をしてこれを焼き払うことに成功したことで、大軍を維持できなくなった袁紹軍は撤退せざるを得なくなったというものです。

歴史上、大軍が兵糧を失うことで劣勢の軍に敗れるというのはよくあることですが、官渡の戦いは、その典型的な例と言えます。

官渡の戦いでの動員兵力は、袁紹軍が約10万、曹操軍が約1万人と言われており、曹操軍は官渡の砦に立て籠もって戦ったものの「多勢に無勢」の状態で敗北寸前まで追い込まれていました。それどころか袁紹軍に兵糧を断たれ、食料が底を尽きつつある状態であったのです。

そんな時、袁紹軍を見限って曹操軍に降った武将により、「烏巣の地に袁紹軍の兵糧を保管している」「烏巣の守備は手薄である」情報を曹操は得ます。短期的に戦況を変える必要があった曹操としては、袁紹軍の兵糧を保管している烏巣の守備が手薄であるとの情報は値千金だったでしょう。

すぐさま自ら半数以上の兵を率いて烏巣を攻撃し、烏巣の守備隊と応援部隊を完全に撃破して、保管されていた兵糧を焼き払うことに成功しました。

官渡の戦いにおける烏巣攻撃は、兵数で劣勢な曹操軍が兵力を割く戦術ですからリスクはとても大きかったのですが、持てる最大戦力を烏巣攻撃に割いて奇襲攻撃を行い、勝利を得ました。

一方の袁紹ですが、この烏巣を決して軽視していたというわけではないようです。兵糧の保管場所というのは軍事上の最重要機密で、そのありかというのは厳重に伏せられてはいましたが、兵糧に苦しむ曹操軍が兵糧の保管場所を突き止めて奪いに来ることは想定の範囲内だったでしょう。

ただ、名門出身で常識人の袁紹は、曹操軍の一部が兵糧を奪うために攻撃を掛けてくることは想定していても、曹操が自ら精鋭を率い、全軍の半数以上を烏巣攻撃に振り向けて来るとは考えてなく、兵糧を焼き払われるとも想像していなかったのだと思われます。

その結果、烏巣攻撃の報を受けた袁紹は、援軍を出したものの、曹操軍の戦力を見誤って守備隊・援軍とも撃破されてしまいます。そして、兵糧を全て焼き払われた袁紹軍は戦いを続けることができず、撤退を余儀なくされるのです。

そういった意味では、官渡の戦いでの曹操軍の勝因とは、攻撃目標を絞り込み、局地戦で戦力的に有利な状態を作り出せたところにあり、敗退一歩手前の状態にあっても、その決断を行うことができたことだと言えるでしょう。

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