朝日新聞死ね
日本維新の会の足立康史 衆院議員がツイッターで「朝日新聞、死ね」とつぶやいたことでひと騒動起こっています。
「〇〇死ね」と言えば、2016年末に「保育園落ちた 日本死ね」が「流行語大賞」を受賞したのを覚えている方も多いのではないでしょうか。
満面の笑みを浮かべた当時民進党の山尾志桜里議員が受賞の喜びを語っている姿に違和感を覚えたのは私だけではないはずです。
朝日新聞死ね の背景
足立議員が「朝日新聞、死ね」とつぶやいたのは、「加計開学へ これで落着とはならぬ」という朝日新聞デジタルの記事に対してで、いい加減に「モリカケ・モリカケ」と煽り続けるのを止めて、真っ当な報道機関の責務を果たしたらどう?という趣旨で私自身は受け取りました。
朝日新聞死ね で思うこと
新聞・テレビなどのマスコミが事実に基づいて政権批判をするのは構いません。しかし、憶測や推測に基づいて、結論ありきの “報道” をするのは報道機関としては失格だと思います。
朝日新聞は権力に対してチェックをおこなっているつもりかもしれませんが、すでに朝日新聞自体が「第四の権力」なわけで、自らのイデオロギーの正当性と存在をアピールしているようにしか最近は思えなくなってきました。
有識者を交えて論議を重ねた結果、加計学園(岡山理科大 獣医学部)の開設が認められているわけですから、それに対して「忖度」と異論を挟むのは、国民全体の論議に異論を挟むことと同じではないでしょうか。
さらに言うなら「第四の権力者」である朝日新聞による私企業(加計学園)や地方自治体(今治市)への根拠のない圧力と捉えられる事案とも思えます。
私なりに色々と考えてみましたが、維新の足立議員がツイッターでつぶやいた「朝日新聞、死ね」は「結論ありきで報道した 朝日新聞死ね」とでも言うべきだったのかもしれません。
これなら2016年の「流行語大賞」と大差ありませんから。
元選考委員の鳥越俊太郎氏も「『死ね』という言葉だけに引っかかってしまっちゃ、その全体を見誤ってしまう」と言っていましたし、これまでの足立康史議員の発言を考え合わせると「結論ありきで報道した 朝日新聞死ね」も大丈夫でしょう。
「朝日新聞死ね」には賛否両論があるようですが、いずれにしても「『朝日新聞死ね』はヘイト」のような低レベルな議論は止めて、しっかりと報道のあり方を考える機会にして欲しいものです。