他力本願(たりきほんがん)
古来より、人は自らの教訓を言葉で残し、古人の知恵や経験を「故事成語・ことわざ」として現代に伝えてきました。
その中から、時を超えて、人生に様々な示唆を与えてくれる「故事成語・ことわざ」を独断と偏見で選んでみました。きっとビジネスだけでなく、人生においても参考になるでしょう。
今回選んだのは、
他力本願(たりきほんがん)
という鎌倉時代に書かれた日本の仏教書「歎異抄」が出典の故事成語です。
「他力本願(たりきほんがん)」とは
「他力本願(たりきほんがん)」とは、
仏教用語から転じて「自分の努力ではなく、他人がしてくれることに期待する」という意味で使われます。
では、出典となった「歎異抄」の一節を見てみましょう。
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
とあり、現代文に訳すなら、
善人ですら極楽往生することができる。ましてや悪人が極楽往生するのは当たり前である。しかし、世の中の人は逆にこう言う。悪人でさえ往生できるのに、どうして善人が往生できないことがあるだろうか、と。この世間の言い分は道理が通っているのだが、仏法の他力本願の考えには反している。自力で善行を積もうとする人は、ただ一途に阿弥陀仏の他力の救済を頼みにしようとする気持ちが欠けているので、阿弥陀仏の本願の対象にはならないからである。
といった感じになります。
「他力本願」は元々「阿弥陀仏の本願力を頼んで,念仏による往生浄土を願う」という意味ですが、現在では「他人まかせで努力をしない」といった悪い意味で使われることが多くなっています。