別所長治 最後の言葉〜辞世の句

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別所長治 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、別所長治の最後の言葉として、別所長治の辞世の句を紹介してみることにします。

別所長治の最後

別所長治は播磨国の守護赤松氏の一族で、東播磨(現在の兵庫県三木市辺り)一帯を治めた戦国大名です。若くして別所家の家督を継いだ別所長治は、当初、織田信長に従っていましたが、毛利攻めを機に従っていた織田信長に反旗を翻します。その後、毛利の援軍などにより一時攻勢に出た時期もありましたが、羽柴秀吉に居城三木城を兵糧攻めにされ、一族の切腹と引き換えに城兵の命を助ける条件を飲み自刃しました。享年22歳前後の若さと言われています。

そんな別所長治の辞世の句と言われているのが以下の句です。

別所長治 辞世の句

「今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命にかわる 我が身と思えば」

現代文に訳すなら「今となっては誰を恨むこともない。私の命が城兵たちの命の身代わりになると思えば」といったところでしょうか。

別所長治が敗れた後、東播磨〜西播磨一帯は織田信長によって平定され、姫路城が築城されるなど畿内の要衝の地の一つとなっていくことになります。

死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この別所長治の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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