善く戦うものは、勝ち易きに勝つ者なり
「孫子」は、二千数百年前の弱肉強食の時代に生きた孫武が書いた兵法書です。
その中から、今回は孫子にある「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり」という言葉を見てみることにしましょう。
勝を見ること衆人の知る所に過ぎざるは、昔の善なる者に非ざるなり。
戦い勝ちて天下善なりと曰うは、善の善なる者に非ざるなり。
故に秋毫(しゅうごう)を挙ぐるは多力と為さず。
日月を見るは明目(めいもく)と為さず。
雷霆(らいてい)を聞くは聡耳(そうじ)と為さず。
古えの所謂善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
故に善く戦う者の勝つや、奇勝無く、智名も無く、勇功も無し。
故に其の戦い勝ちてたがわず。たがわざる者は、其の勝を措(お)く所、巳に敗るる者に勝てばなり。故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり。
是の故に勝兵は先ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む。
が「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり」のくだりですが、現代語訳にすると、
一般の人々にも分かる勝利は最も優れた勝ち方ではない。天下の人々が称賛する勝利も最高に優れた勝ち方ではない。細い毛を持ち上げても力持ちとは言えず、太陽や月が見えても目が鋭いとは言えず、雷が聞こえても耳がよいとは言えないように、戦い上手といわれた人は、勝ちやすい機会をとらえて勝ったものだ。だから、その勝利は人目を引く勝ち方ではなく、智謀は目立たず、その武勇が称賛されることもない。勝つのは間違いないが、それらはすべてすでに負けている敵に勝ったものである。
それゆえ、戦い上手な人は、味方を不敗の立場におきつつ、敵が負けるようになった機会を逃がさない。勝利する者は開戦前にまず勝利を得て戦争しようとするが、敗北する者は戦争を始めてから勝利を求めるものだ。
という意味になります。
ビジネスの世界でも、派手な成功に目を奪われがちですが、派手さは感じさせないが気がついたら成功している、あるいは成功して当たり前と思うような状況を常に作り出している、そんな人こそが真の戦略を持つビジネスマンと言えるのかもしれません。