嚢中之錐(のうちゅうのきり)

故事成語 故事成語・ことわざ

嚢中之錐(のうちゅうのきり)

嚢中之錐(のうちゅうのきり)

古来より、人は自らの教訓を言葉で残し、古人の知恵や経験を「故事成語・ことわざ」として現代に伝えてきました。

その中から、時を超えて、人生に様々な示唆を与えてくれる「故事成語・ことわざ」を独断と偏見で選んでみました。きっとビジネスだけでなく、人生においても参考になるでしょう。

今回選んだのは、

嚢中之錐(のうちゅうのきり)

という中国の有名な古書「史記」が出典の故事成語です。

「嚢中之錐(のうちゅうのきり)」とは

「嚢中之錐(のうちゅうのきり)」とは、
「優れた人は多くの人の中にいても、才能を自然に発揮して目立つこと」のたとえで使われます。

では、出典となった「史記」の一節を見てみましょう。

中国の戦国時代のこと、秦の大軍が趙の都 邯鄲を包囲した時、趙は平原君を使者として強国の楚へ送って同盟を結ぼうとしました。平原君は自ら抱えていた食客の中から有能な人材を20名を選抜しようとしましたが、残り一人となった時、毛遂という人物が自ら手を挙げました。毛遂の能力について半信半疑だった平原君でしたが・・・

今秦、趙の邯鄲を攻む。平原君楚に救ひを求む。
門下の文武備具する者二十人を択び、之と倶にす。
十九人を得る。毛遂自薦す。
平原君曰はく「士の世に処するは、あたかも錐の嚢中に処するがごとし。其れ末だ立たずして見わる。今先生門下に処すること三年、未だ聞く有らず」
遂曰はく「遂をして嚢中に処を得さしめよ、乃ち頴脱して出ず。特に末の見ゆるのみに非ず」
平原君乃ち以ちて数に備ふ。十九人目して之を笑ふ。

とあり、現代文に訳すなら、

秦が趙の都の邯鄲を攻めたので、平原君は楚に救いを求めることにした。
門下の文武兼備の者を20人を選んで楚へ連れて行くことにした。
19人まで決まったが、あと一人足りなかった。その時、毛遂が自分で手を挙げた。
平原君は「士の世に処するのは、まるで錐が袋の中にあるようなもので、錐の存在は外から見てもわかります。毛遂先生がこちらに来られて三年、私の耳に聞こえてきた功績はないようです」と言った。
それを聞いた毛遂は「それは私を袋の中に入れていないからです。私を袋の中に入れてごらんなさい。単に錐の穂先が見えるばかりではなく、錐の穂先が飛び出すでしょう」と答えた。
平原君はそこで彼を一行に加えたが、他の19人は目くばせして、毛遂のことを笑った。

といった感じになります。

その後、楚に到着した平原君一行は、楚王との同盟交渉を行いました。交渉は難航しましたが、最終的には毛遂の弁舌によって楚王を説き伏せ、楚から援軍によって邯鄲の落城は免れることになったそうです。

毛遂は「嚢中之錐」ではありませんでしたが、立派に役目を果たし、平原君は自らの人を見る目のなさを恥じたと言います。

 

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