大石内蔵助 最後の言葉〜辞世の句

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大石内蔵助 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、大石内蔵助の最後の言葉として大石内蔵助の辞世の句を紹介してみることにします。

大石内蔵助(大石良雄)の最後

大石内蔵助(大石良雄)は「忠臣蔵」で有名な赤穂藩の筆頭家老です。主君である浅野長矩が江戸城内で刃傷事件を起こし、その責任を問われ、長矩に即日切腹ならびにお家断絶の沙汰が下ってしまいます。大石内蔵助は、筆頭家老としてお家再興を目指しますが果たせず、その後苦難の末に、主君の仇である吉良上野介の屋敷に討ち入り、本懐を果たしました。そして、1703年3月20日、幕府の命で切腹。享年44歳前後だと言われています。

そんな大石内蔵助の辞世の句と言われているのが以下の句です。

大石内蔵助 辞世の句

「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」

「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」

現代文に訳すなら、一句目は「思いを晴らして死んでいくのは、何と楽しいことよ。 見上げる月に雲がひとつもかかってないように、我が心は澄み切っている。」、二句目は「仇討ちを終えた四十七士は主君とともに阿弥陀如来の待つ極楽へ旅立ちます。」といったところでしょうか。

大石内蔵助が死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この大石内蔵助の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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