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擒賊擒王(きんぞくきんおう)〜 兵法三十六計
兵法三十六計とは、中国の三国時代以降に生まれた兵法書で、宋の名将 檀道済がまとめたと言われています。
そして「兵法三十六計」に書かれた故事や教訓は、単なる兵法ではなく処世術としても活用され、広く知られるようになっています。そういった意味では「兵法三十六計」を知ることで、現代の人たちにとっても人生の参考になるのではないでしょうか。
今回選んだのは、兵法三十六計の第十八計
「擒賊擒王(きんぞくきんおう)」
です。
「擒賊擒王(きんぞくきんおう)」とは
「擒賊擒王(きんぞくきんおう)」とは、
「相手の核心(軍の主力や中心人物など)を叩くことで、相手を弱体化する」計略のことです。相手を打ち負かす時の「目標」と「目的」の重要性を説く言葉です。
「擒賊擒王」の話
羽柴秀吉(豊臣秀吉)と徳川家康・織田信雄の連合軍が戦った小牧長久手の戦いですが、徳川・織田連合軍に四国の長曾我部元親・北陸の佐々成政・関東の北条氏康が呼応し、秀吉軍は厳しい状況に置かれていました。序盤戦で池田恒興・森長可を戦死で失い、半年以上も戦線が膠着して周囲を反勢力が脅かす状態で、羽柴秀吉が取った計略が織田信雄との単独講和でした。
羽柴秀吉は、織田信雄から伊賀と伊勢半国の割譲を受けることを条件に講和を成功させて自らに取り込み、織田家を庇護するという大義名分を失った徳川家康は講和からわずか5日後に本拠地の三河に帰国し、9ヶ月に渡った小牧長久手の戦いは羽柴秀吉の戦略的勝利で終結したのです。
小牧長久手の戦いでは、個別の戦いでは勝利を収めた徳川家康でしたが、最終的には相手方の核心が徳川家康の本隊ではなく織田信雄にあることを見抜いた羽柴秀吉の軍門に下ることになりました。
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相手の核心部分を押さえてしまうことで事態が一変することがあります。相手の力の源泉となっている核心部分が何なのかを見極めることは現代のビジネスでも重要です。