「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、松岡洋右の最後の言葉として、松岡洋右の辞世の句を紹介してみることにします。
松岡洋右の最後
松岡洋右(まつおか ようすけ)は、昭和初期に活躍した政治家・外交官です。松岡洋右は、子供の時に両親と共に渡米し、帰国してからは、満州鉄道の理事などを経て、第二次近衛内閣の外務大臣として、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結を行いました。しかし、他の閣僚・軍との対立が大きくなり、近衛文麿首相は松岡洋右を外務大臣から更迭し、太平洋戦争へと突入していくこととなります。
日米開戦を見守るしかなかった松岡洋右は、終戦後、A級戦犯として裁かれることになりますが、晩年患った結核により1946年6月27日、66歳で亡くなりました。
そんな松岡洋右の辞世の句と言われているのが以下の句です。
松岡洋右 辞世の句
「悔いもなく 怨みもなくて 行く黄泉」
話すのが好きで、外交官というよりも弁論家として昭和初期を生きた松岡洋右ですが、死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この松岡洋右の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?