柴田勝家 最後の言葉〜辞世の句

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柴田勝家 最後の言葉〜辞世の句「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。

古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、柴田勝家の最後の言葉として、柴田勝家の辞世の句を紹介してみることにします。

柴田勝家の最後

柴田勝家は、織田信長の家臣として戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将です。柴田勝家は、主君信長が本能寺の変で亡くなった後、羽柴秀吉と後継者の主導権争いで敗れる形となります。そして、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れた柴田勝家は、1583年6月14日、北ノ庄城にて妻のお市とともに自害しました。享年は60歳前後であったと言われています。

そんな柴田勝家の辞世の句と言われているのが以下の句です。

柴田勝家 辞世の句

「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」

現代文に訳すなら、「夏の夜のように短くはかない人生だったが、ほととぎすよ、この名を後世まで伝えてくれ」といったところでしょうか。

柴田勝家は「鬼柴田」呼ばれ、勇猛な武将として知られていますが、その一方で温情のある人柄であったようです。

この歌の通り、400年以上経った現代でも豪胆で実直な武将としてその名は残っており、勝家も草葉の陰で喜んでいるでしょう。

柴田勝家が死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この柴田勝家の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?

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