これらの経歴や、総理となってからの動きを見ると、桂太郎は非常に厳しく、激しい人物に思われますが、当時の桂太郎のエピソードでは、「ニコポン」という親しみやすいニックネームがあったと伝えられています。もともと外見も、福々しくおっとりとした風に見えるうえ、「敵を作らない」タイプの人だったようです。いつもニコニコと笑顔を絶やさず、相手の肩をぽんとたたき、親しみやすい雰囲気を作ることから、こうした呼び名が付きました。
当時、日本の陸軍と海軍は、あまり仲の良いものではなかったとされていますが、そうした対立などをまとめる力も、桂太郎のこうした雰囲気によって生み出されていたのかもしれません。政治的な対立などもうまく丸め込み、議会を動かした人物だといわれています。
その他に、桂太郎の人柄が伝わるエピソードとして、日比谷焼き打ち事件にまつわる話があります。日比谷焼き打ち事件では、小村寿太郎が標的となり、危険に晒されていたのですが、そんな中、桂太郎は、小村寿太郎を駅まで迎えに行き、腕を抱えて歩いたとされています。危険な状況下であっても、逃げること無く堂々と歩く姿に、当時の人は感銘を受けたのではないでしょうか。
プライベートでは結婚をしていたのですが、同時に芸者のお鯉と呼ばれる女性を、妾にしていたそうです。桂太郎の本妻である女性は、体が弱かったということもあり、お鯉は桂太郎の身の回りの世話なども、行っていたとされています。二人の関係は周知のものであり、当時の総理官邸に、「お鯉の間」という部屋が、設けられていたほどです。現代の価値観からすると、あり得ないような話ではありますが、当時は、これが当たり前だったのかもしれません。
日比谷焼き打ち事件では、お鯉も民衆の怒りを受ける立場となりましたが、当時26歳であった彼女は、官邸から逃げること無く、毅然と耐え抜いたといわれています。この芯が強く堂々とした気質は、桂太郎とよく似たものを感じさせます。大正2年に桂太郎はその生涯を閉じますが、その時までこの二人の関係は続いていたようです。
激動する時代を生きた偉人には、やはり当時の時代の雰囲気を、反映したエピソードがあるようです。桂太郎のエピソードは、折れることのない強さと、周りを懐柔する朗らかさ、そんな二面が同居していたと感じさせます。