武田信玄|偉人列伝

偉人列伝

武田信玄|偉人列伝

武田信玄のエピソード

武田信玄は戦国時代の甲斐の国の武将です。

当時、武田信玄が治めていた甲斐の国は駿河の今川氏、相模の北条氏、越後の上杉氏など多くの有力武将に囲まれ領土争いの激しい土地でした。武田信玄はそのような時勢をどのように乗り越えて行ったか、甲斐の国の歴史には武田信玄のエピソードが数多く残されています。

武田信玄と言えば、上杉謙信との川中島の戦いが有名です。

武田信玄は戦の天才として有名でしたが、上杉謙信とは何度も戦いながら一進一退を繰り返す歴史に名を残す名勝負を重ねてきました。今でも川中島には、彼が築いた丸い小山が残り、信玄と謙信の一騎打ちの様子を表した像が残されています。座って刀を受ける信玄と、頭巾をかぶった謙信が馬上から刀を振り下ろす像は今にも動き出しそうな躍動感にあふれており、こんな闘いが数百年前に実際に行われていたのだという事実を肌で感じる事ができます。

上杉謙信と武田信玄には様々なエピソードがあります。

武田の領土には海がなく塩を今川氏の支配していた駿河の国から買っていましたが、今川氏と敵対関係に陥ったことで塩が不足したため甲斐の国の領民が困っている事を知り、謙信が越後から塩を送ったというエピソードがあります。この事は、「敵に塩を送る」という故事として現代にも引き継がれています。

塩留めをして領民を苦しめ、国力をおとして戦に勝とうとするような卑怯な戦法は好まず、真っ向から武田信玄と戦おうとした謙信の心意気も素晴らしいものですが、謙信にそのような対応をさせるに値した武田信玄の素晴らしさも感じる事ができます。上杉謙信と武田信玄がただ領土争いを繰り返していただけでなく、好敵手としてお互いを認め合い尊敬の念を持っていた事が良く伝わってくるエピソードと言えるでしょう。

また、武田信玄は息子である勝頼に、自分の死後は謙信に教えを乞うべしと言い残したと言われています。織田信長が勢力を強め、日本全土を支配下に置く勢いを見せていた世の中で、生き残るために息子を信頼できるライバルに託したという逸話からは、敵味方という枠を超え、人間同士認め合っていた事が良く伝わってきます。

戦国時代は人を疑い、周囲の国を攻め落として自分の支配下に置く奪い合いの時代です。そんな時代に味方だけでなく、敵とこのような信頼関係を築くことのできる武将はそうそういませんでした。

武田信玄は、家臣との関係もただ一方的な主従関係ではなく、当時では珍しい合議制を取っていました。多くの家臣から分け隔てなく意見を集め、武田信玄自らがまとめ上げるという手法は、寝返りなども当たり前である時代にあっても、家臣たちが武田信玄へ生涯尽くすような忠誠に繋がっていったと言えるでしょう。

また、身分や出自にこだわることなく、農民出身の家臣をとりたてたり、浪人であった物を家臣として近くに置くなど、武田信玄の度量の広さを感じる逸話が多々残されています。そのようにして取り立ててもらった家臣の感謝の念や忠誠心は当然多きものとなり、武田軍の強さを確固たるものにしていきました。

武田信玄のトイレのエピソードとは・・・