「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、河上彦斎の最後の言葉として河上彦斎の辞世の句を紹介してみることにします。
目次
河上彦斎の最後
河上彦斎は、幕末の四大人斬りの一人とされる尊皇攘夷派の志士です。150cmほどの小柄で色白の外見とは異なり、我流の片手抜刀術の達人で「人斬り彦斎」と恐れられていました。京都において、開国論者の佐久間象山を暗殺したことでも有名な河上彦斎ですが、攘夷を頑なに説く彦斎を疎んじた明治新政府によって1872年1月13日、斬首されました。享年37歳。
そんな河上彦斎の辞世の句と言われているのが以下の句です。
河上彦斎 辞世の句
「君が為め 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん」
「かねてより なき身と知れど 君が世を 思う心ぞ 世に残りける」
「君を思い 君の御法に 死ぬる身を ゆめ見こりなそ つくせ世の人」
現代文に訳すなら、一句目は「天皇のために死んだ体に草が生えれば、我が情熱のような真っ赤な花が咲くことだろう。」、二句目は「自分の身に後はないと知っていたが、天皇の作る世の中を案じる心はいつまでも残っている。」、三句目は「天皇を思い、天皇の法の下に私は死にゆく。世の人も天皇に尽くして欲しい。」といったところでしょうか。尊皇派としての気持ちが溢れる辞世の句になっています。
尊皇攘夷から開国へと進んでいった世の流れから取り残されながらも、自らの信念を曲げなかった河上彦斎。死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この河上彦斎の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?
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