「辞世の句」とは、人が死の間際に詠む漢詩・和歌・俳句などのことです。自分の人生を振り返り、この世に最後に残す言葉として、様々な教訓を私たちに与えてくれるといって良いでしょう。
古来より数えきれない辞世の句が残されてきましたが、今回は、清水宗治の最後の言葉として清水宗治の辞世の句を紹介してみることにします。
清水宗治の最後
清水宗治は、戦国大名である毛利輝元に仕えた武将で備中高松城の城主です。本能寺の変が起きた時、羽柴秀吉が攻めていたのがこの備中高松城でした。講和を急いだ秀吉は、水攻めにより落城間際となっていた城兵の命と引き換えに清水宗治の切腹を促し、それに応えた形で 1582年6月23日(天正10年6月4日)周囲が見守る中、船上で切腹しました。享年は45歳前後だったと言われています。
そんな清水宗治の辞世の句と言われているのが以下の句です。
清水宗治 辞世の句
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
現代文に訳すなら「浮世を渡りあの世へ行こう。武士としてのその名を、松に苔が付くほどの長い間残すのだ。」といったところでしょうか。
清水宗治が死を前にした時、彼の頭の中を去来したのはなんだったのでしょう。この清水宗治の最後の言葉である辞世の句は、皆さんの心にどう響きましたか?
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